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隠居状態の名将ヒディンクがモウリーニョの後任を引き受けた理由 (3ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper  森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 特にオランダ代表でのユーロ予選敗退は、ヒディンクの名前を汚すものだった。前任者のルイス・ファン・ハールは5-3-2のフォーメーションによるカウンター攻撃中心のチームを作り、2014年のワールドカップでオランダを準優勝に導いた。ヒディンクはオランダの伝統的なスタイルを復活させた。4-3-3のフォーメーションによるポゼッション重視のパスゲームだ。

 すべてが悪い方向に進んだ。オランダの権威あるサッカー雑誌『フットボール・インターナショナル』によれば、ヒディンクは選手ともあまり話をしなかったし、週1回のスタッフ会議に姿を見せなかったことも1度ある(南フランスの別荘に滞在していたことがわかった)。

 ヒディンクはオランダ代表の監督を特にやりたがってはいないようにも見えた。オランダに負けが続くようになると、ヒディンクは自分が「シニアマネージャー」として全体を統括する役割に就き、実際の指揮はアシスタントコーチのダニー・ブリントがとってはどうかと言った。しかし昨年夏にオランダ連盟関係者がヒディンクの別荘を訪れ、契約解除を通告した。

 かつてヒディンクの下でプレーし、今は解説者となったロナルト・デ・ブールは、ヒディンクは代表監督を務めるには年をとりすぎたと語り、多くのオランダ人の気持ちを代弁した。ヒディンクはテレビで、こう反論した。「ほんの数カ月前、(デ・ブールは)2022年のワールドカップ・カタール大会まで監督を続ける気はないのかと聞いてきたはずだが」

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