渦中のブラッターFIFA会長はなぜ再選されたのか (2ページ目)
欧米人の多くが思い違いをしていたことに僕が気づいたのは、2010年12月2日。その日の午後、FIFA理事会は2018年と22年のワールドカップ開催国を決める投票を行ない、18年の開催国にロシアを、22年にはカタールを選んだ。
そのとき僕は、大会招致レースをずっと追っていた。大会を招致していた欧米諸国の関係者からも、オフレコでさまざまな話を聞いていた。こうしたフットボール界のインサイダーのなかに、ロシアが勝つことを予想していた人は何人かいた。しかしカタールの勝利を予測した人は、ひとりもいなかった。
今なら僕は理解できる。大会を招致していた欧米諸国の関係者は、FIFAが自分たちと同じ論理で動いていると思い込んでいたのだ。
イングランドやアメリカ(根っからの資本主義国だ)は、自分たちの国にはフットボールの大きな市場があるから、招致レースに勝ち目があると考えていた。共催を目指したスペインとポルトガルの関係者は、FIFA内部に友人がいるから勝ち目があると考えていた。オーストラリアはFIFA内部の友人たちに働きかけるためロビイストを雇った。やはり共催を目指したオランダとベルギーの関係者は、環境にやさしいコンパクトな大会という構想に勝ち目があると信じていた(そのアイデアをアピールしようと、関係者がチューリヒのFIFA本部まで自転車で行ったほどだ)。
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