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国民の「サッカー力」が上がらなければ日本代表は強くならない (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by JMPA

 3度目となるW杯取材を終えてみて思うのは、「アンヘル君のような人がどれだけいるかがその国のフットボール力」ということである。

 フットボールを愛し、見る目も持つ人間の総量が最後は物を言う。着眼点は人それぞれでいい。むしろ、一つではない方がいいだろう。この競技には絶対的な正解、不正解はないからだ。だがフットボール大国と呼ばれる国では、アルゼンチン人も、ブラジル人も、ドイツ人も、オランダ人も、スペイン人も、人々は自分たちの物差しで拍手し、野次を浴びせる。

 その点、日本フットボールはまだ遠く及ばない。例えば、完全な敗者として帰国した指揮官を笑顔で迎えることは、強さの根本を太くはしないだろう。その実力は不安定で、今回は2006年W杯の既視感が強い。

「だったら、日本もコスタリカのように戦うのはどうだろう?」

 アンヘル君は明るい表情で助言してくれた。

「なんならさ、国内組の選手でチームを固めるんだ。みんなで一致団結して守り抜き、得点能力の高い選手にゴールを狙わせる。日本人は組織的だし、きっと悪くない結果が得られるよ」

 "その戦い方で南アフリカW杯は決勝トーナメントまで勝ち進んだんだよ"とは返さなかった。例えばその大会で決勝トーナメントに進出したスロバキアがどんなチームだったか、ほとんどの日本人が説明できないように、強豪国のサポーターにとって日本の戦い方は関心を引くものではない。コスタリカや前回大会の日本の戦い方は、弱いチームにとって定石の一つなのである。

「我々の選手たちは、勝利する中で自信を得た。飛躍的に成長していったんだ。思った以上の力を出せたと思う」

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