国民の「サッカー力」が上がらなければ日本代表は強くならない

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by JMPA

 コスタリカの指揮官は準々決勝でオランダに敗れた後に語ったが、日本もまだ今は相手と自分たちの戦力を正しく読み、相応な戦いを選択し、勝利を収める中で一歩ずつ進化するしかないのだろう。日本らしさ、はそのプロセスで自然に見つかる。そもそもスタイルというものは、トップが文書にして下々に触れ回り始めると、一気に古くさくなり、柔軟性を失う。

「日本人は小柄で素早いから、ポゼッションして攻撃的に戦う」

 そのスタイルは一面では正しいが、そのやり方のみをトップダウンで庇護したら、他の可能性はしぼみ、同時に競争力も失われてしまう。結果として、日本フットボールの脆弱性は極まることになるだろう。

 一ヵ月以上に渡り続けてきたこの大会連載も、これで最終回となる。一度でも読んでくれた方には感謝を申し上げたい。

 日本人として目撃した今回のW杯は、どう取り繕っても惨憺たるものだった。敗れざる者に惹かれる書き手としては、たとえ勝負に負けても散り際を見せて欲しかったが。驕(おご)りの見える戦い方には失望させられた。

 しかし、心を動かされる場面もあった。ハメス・ロドリゲスのファンタジー、チリの勇猛さ、コスタリカの驚異的な粘り、ファン・ハールの采配の妙、ドイツの完成度の高さ。それらは賞賛に値した。そして「1-7」というスコアでスタジアムが悲しみで満たされた光景を、筆者は忘れないだろう。

 決して楽な取材行程ではなかったが、退屈な苦しみを味わったわけではない。体にむち打つスケジュールを経て、味わえた生の実感とでも言おうか。たしかに気持ちを揺さぶられる瞬間があった。おそらく、人はこうしてフットボールにのめり込んでいくのだろう。どんなに裏切られても、巡り会える感動がある。それによって、不条理な人生が少しは救われることもあるはずだ。

 フッチボールの国では早くもリーグ戦が再開している。

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