2012.11.21

【フランス】イブラヒモビッチのプレイに大きな影響を与えた、その生い立ち

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】イブラヒモビッチの半生(前編)

パリ・サンジェルマン移籍後も次々とスーパーゴールを決めているイブラヒモビッチ photo by Getty Images パリに行ったら足を運びたいスポットのひとつが、おしゃれな8区にあるホテル・ブリストル。1泊3000ユーロ(約30万円)のスイートルームに、大好きなゲーム機のX-Boxを持ち込んでこもっているのは、スウェーデンのゲットー生まれの青年だ。

「いい家が見つからなかったら、このホテルを買っちゃおうかな」と、ズラタン・イブラヒモビッチは言う。思えば彼は遠いところまでやって来た。彼の代理人を務めるミーノ・ライオラは先日、FIFA最優秀選手賞(バロン・ドール)はイブラヒモビッチに与えられなくてはおかしいと言った。「ズラタンが受賞して初めて、この賞は意味を持つ。そうしないと、フットボール界の政治力学で決まっている賞と言われつづけるだけだ」

 来年1月に、この身長195センチのストライカーがバロン・ドールに輝くことはないだろう。それでもイブラヒモビッチが偉大なフットボール選手であり、彼の半生が興味をそそるものであることはまちがいない。イブラヒモビッチの人生は、移民の子という生い立ちを抜きには語れない。

 ズラタン(スウェーデンで彼はこのファーストネームで知られている)は1981年、ボスニア人の父とクロアチア人の母の間に生まれた。一家が住んでいたのはスウェーデン第3の都市マルメにあるゲットー、ローゼンガルドだった。彼の自伝『俺がズラタン・イブラヒモビッチ』(先ごろスウェーデンで最も権威ある文学賞の候補にもなった)の中で、ズラタンは両親が結婚したのは父親がスウェーデンの滞在許可を得るためだったと思うと書いている。両親はズラタンが2歳のときに別れた。ふたりは愛情あふれる人たちだったが、父は酒びたりで、母はおたまでズラタンをよく叩いた。

「ビールの空き缶、ユーゴの音楽、空っぽの冷蔵庫、そしてバルカン半島の戦争。うちにあったのは、それだけだった」と、ズラタンは書いている。ユーゴスラビアの内戦が続いていた90年代、彼の母と祖母はたいてい黒い服を着ていた。