満員の国立が熱狂した木村和司の「伝説のFK」 その歴史的な瞬間に起こっていた知られざる「悔恨」 (2ページ目)
僕は酒の席につき合うことはなかなかできなかったですけど、合宿の最後とか、サッカーの話をしているところに顔を出したときには、いろんなことを教えてもらいましたしね」
そんな"近すぎず、遠すぎず"な関係が、ピッチ上にも好影響をもたらしたのかもしれない。先輩を先輩とも思わないタイプの木村も、後輩の水沼には一目置いているところがあったようだ。
「和司さんは、強面は強面だし、無口は無口ですよ。自分からは全然しゃべらないですしね。若い選手たちは、たぶん怖かったんじゃないですか。でも、話をすれば面白いし、日本リーグの頃は、キャンプの打ち上げみたいな場で、若いヤツらを連れて結構飲んだりはしていましたよね」
水沼自身は、ユース代表以来のつき合いが長かったこともあり、「なんとなく僕のなかでは、こうしとけば大丈夫みたいな、和司さんの扱い方がわかっていました」。
「それはのちのち、僕がキャプテンになったときも生きたんですよ」と語る水沼は、あちらの世界とこちらの世界とをつなぐ役割を担っていた、と言えるのだろう。
「日産が2年連続三冠になったとき、僕、キャプテンだったんですよ。当時の日産は面倒くさい人ばっかりでしたけど(苦笑)、そういう人たちを、たぶんうまくまとめられていたんじゃないかなって思います」
そんな"木村の扱い"について、水沼にはひとつだけ後悔していることがある。
伝説のFKが生まれた試合として知られる、1985年10月26日のワールドカップ最終予選、韓国戦でのことだ。
水沼はその歴史的瞬間を、木村に最も近い場所で目の当たりにしている。
「僕は一応、ダミーのようなふりをして(木村の)横にいるんです」
そう語る水沼は、伝説のFKの直前、木村と並んでピッチ上に置かれたボールの前に立っていた。
「だけどもう、僕はまったく蹴る気はなくて。腰に手をやって、ずっと見てるんです」
おそらく韓国の選手にしても、水沼が蹴るなどとはつゆほども考えていなかっただろう。何より水沼自身、「ああいう雰囲気のなかで決めるのは、和司さんだろうなって思ってた」のだ。
「あの日韓戦の前も、和司さんは日本リーグでバンバン(FKを)蹴るようになって、ペナのラインか、アークくらいのところだったら、ほぼ入ってた。だから、PKより確率がよかったんですよ、本当に」
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