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日本サッカー「プロ第1号」選手の苦悩と後進に与えた光 「社会的な地位を得たというか...大きな出来事でした」

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Masaki Asada

木村和司伝説~プロ第1号の本性
連載◆第16回:水沼貴史評(6)

JSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車、Jリーグ発足後の横浜マリノス(現横浜F・マリノス)で活躍し、日本代表の攻撃の柱としても輝かしい実績を残してきた木村和司氏。ここでは、そんな稀代のプレーヤーにスポットを当て、その秀逸さ、知られざる素顔に迫っていく――。

日本サッカー初のプロ選手となった木村和司氏について語る水沼貴史氏 photo by Sano Miki日本サッカー初のプロ選手となった木村和司氏について語る水沼貴史氏 photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る 水沼貴史は、日産自動車サッカー部が2年連続で三冠(日本リーグ、天皇杯、JSLカップ)を獲得した時代、チームのキャプテンを務めていた。

 木村和司という特別な選手の扱いについては気を遣いながらも、「それが大変っていうより、たぶんこの人を気持ちよくサッカーさせたら一番の強みになるなっていうふうに思っていた」。

 そこでは、「和司さんに気を遣わせたらダメなので、どうしたら普通にしてもらえるか」に腐心したという。

 さらに時間をさかのぼれば、水沼がキャプテンを務める以前、日産には木村がキャプテンだった時代もある。

 しかし、その負担が原因だったかどうかはともかく、水沼の記憶によると、「和司さんが超スランプに陥ったことがある」のも、その頃である。

「そういうときに気を遣わせないで、思う存分自分のサッカーができるようにしてあげなきゃいけないな、とは(自分がキャプテンになる前から)思っていましたね。

 特別ヨイショするとかっていうのはないけど、遠征に行くとしたら、バスの席は(水沼と木村が)一番後ろの列にいるとか、なるべく近くにいるような感じにはしていたかな」

 木村の不調の原因について、水沼も「なんでかっていうのは、わからない」。

 だが、「たぶんそういう心的なところ、キャプテンになったみたいなところが影響していたような気もしますけどね」というのが、率直な印象だった。

 また、それは木村が日本初のスペシャルライセンスプレーヤー、つまりはプロサッカー選手として認定された時期とも、おおむねタイミングを同じくする。

「(木村のスランプは)和司さんがプロになって、5、6年目ぐらいでしたよね。奥寺(康彦)さんが(ドイツから)帰ってきて、(奥寺と一緒に)自分もプロ第1号って言われて、やっぱり日本サッカーのことを考えたというか、『自分が成功しなきゃ、この道は開けない』くらいのことを、もしかしたら思っていたのかもしれないですよね」

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