【Jリーグ】ナビスコカップ優勝でオシムの目に涙 佐藤勇人「胴上げしようとしたら、めちゃくちゃキレられた」 (5ページ目)
【オシムさんはすごく悩んでいた】
── ナビスコカップ優勝を経て、次はリーグ優勝を目指すなか、2006年の夏にオシムさんが日本代表の監督に就任することが発表されました。選手の立場として、どういう感情が湧いてきましたか。
「たしか岐阜でキャンプをやっている時に、ニュースで川淵(三郎/当時・日本サッカー協会会長)さんの映像を見て知りました。まだシーズンの半分も残っていましたから、なんで? と思いましたよ。
翌日の朝にはホテルの外が騒がしくなって、ものすごい数のメディアの人が集まっていました。朝食会場にはオシムさんもいたんですが、そのことには触れられず、練習グラウンドに行った時に、オシムさんから『この状況では君らの練習を見ることができない』と言われました。
オシムさんは遠くから僕らの練習を見ていて、コーチ陣が僕らの練習を取り仕切ったんですけど、集中はできなかったですし、僕らはオシムさんに依存している部分がかなりあったので、そこの不安も拭えませんでした」
── その後はどうなりましたか。
「オシムさんは数日キャンプに残っていたんですが、途中で帰ったんですよね。その後に当時の祖母井(秀隆)GMから話があって、オシムさんはすごく悩んでいたと言っていました。これだけ選手に迷惑をかけるのであれば、ジェフも辞めるし、日本代表の監督も断って国に帰るということも言っていたそうです」
── 最後の挨拶はなかったのですか。
「それも断ったみたいですね。そんなもの必要ないと。でも、それに対して僕らはなんとも思わなかったというか、やっぱり信頼関係がありましたから、オシムさんらしいなと。ただ、もうオシムさんの練習ができないことを考えると、本当に寂しかったですね」
(文中敬称略/つづく)
◆佐藤勇人・後編>>オシムの無茶ぶり「焼きそばの麺と具を分けて出してくれ」
【profile】
佐藤勇人(さとう・ゆうと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。ジェフユナイテッド市原(現・千葉)のジュニアユース、ユースを経て2000年にトップチーム昇格。イビチャ・オシム監督のもとでチームの黄金期を支え、2005年と2006年のナビスコカップ連覇に貢献。2006年に日本代表デビューを果たす。2008年に京都サンガF.C.へ移籍するも、2010年に「愛するクラブをJ1へ戻す」決意で千葉へ復帰。2019年に現役引退。現在はジェフユナイテッド千葉のクラブユナイテッドオフィサーを務める。国際Aマッチ1試合0得点。ポジション=MF。身長170cm。
著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。
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