【Jリーグ】アマラオに見た日本人のような忠誠心 チーム・サポーターを愛し、愛された「キング・オブ・トーキョー」 (3ページ目)
【9年連続でふた桁得点を記録】
そしてアマラオは、チームメイトへの思いやりにもあふれていた。同時期にプレーしたケリーやジャーンを、ピッチ外でもサポートしていた。
ブラジル人フットボーラーは、誰もが負けず嫌いだ。アマラオも闘争心が旺盛だった。J1でもJ2でも、国立競技場でもこぢんまりとしたスタジアムでも、いつだって全力でプレーしていた。
彼自身に聞くと、「自分たちを応援してくれる人たちと、試合に勝った喜びを分かち合いたいんだ」と言った。「サポーターの人たちが自分を愛してくれていることを、いつも感じることができたからね」とも。
サポーターとの強いつながりを、感じていたからなのだろうか。外国籍の助っ人でありながら、日本人選手のような献身性や忠誠心を感じさせた。旧JFLやJ2だけでなく、J1でもふた桁得点を記録していったのは、ストライカーとしての卓越した技術やゴールセンスはもちろん、チームの勝利に対する責任感の表われだったのではないかと思う。
1994年の旧JFLから2002年のJ1まで、9年連続でふた桁得点を記録しただけでも驚異的である。それだけでなく、そのうち8年が15ゴール以上なのだ。チームメイトから絶対的な信頼を寄せられていたのと同時に、対戦相手に脅威をもたらしていたのだろう。
目の前のゴールチャンスを逃さず、ディフェンスでハードワークもして、勝利の可能性を1パーセントでも高める。ジーコやドゥンガと同じように、「キング・オブ・トーキョー」と呼ばれた男もまた、プロとしてのスピリットを体現したのである。
チームを愛し、サポーターを愛し、チームとサポーターに愛された。日本のサッカー文化がもっともっと成熟して、スタジアムを改修するようなタイミングが巡ってきて、スタジアムに選手の名前を冠する動きが出てきたら──ネーミングライツされたスタジアム名に選手の名前を組み合わせる例もある──アマラオの功績をあらためて讃える好機の到来になるはずだ。
著者プロフィール
戸塚 啓 (とつか・けい)
スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専
門誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より 7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグ ワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本 サッカー』(小学館)
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