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【Jリーグ】アマラオに見た日本人のような忠誠心 チーム・サポーターを愛し、愛された「キング・オブ・トーキョー」 (2ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Kei Totsuka

【来日8年目で初めてのJ2】

 アマラオは1992年に来日した。「すぐにホームシックになったよ」と聞いたのは、当時の苦労を笑いながら振り返ることができるくらい時間が経った頃である。

 ブラジルではサンパウロ州の名門パルメイラスの一員だったのだから、極東の企業チームの環境は息苦しさを覚えるものだったに違いない。「ブラジルに帰ろうと思ったこともあったよ」と話して、「一度だけじゃなく、何度もね」と言い添える。20世紀に生きているのに、モノクロの世界へ飛び込んだような気分だったのかもしれない。

 アマラオが日本でのキャリアをスタートさせた1992年は、Jリーグのプレ大会としてナビスコカップが行なわれた。並行して日本代表がアジアカップやアメリカワールドカップ・アジア予選を戦い、1993年5月のJリーグ開幕を迎える。JFLで戦う東京ガスとアマラオを取材する機会は、ほぼなかった。

 ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)の関浩二が移籍したとか、高校選手権で活躍したGK堀池洋充が大卒で加入したといった情報が、僕自身と東京ガスのささやかな接点だった。アマラオが旧JFLでゴールを量産している情報を得ていても、そのプレーがどれほどのものなのかを知ることはできていなかった。

 アマラオのプレーを初めて見たのは、1999年のJ2リーグである。東京ガスは1998年にFC東京となり、J2初年度のリーグに参戦していた。

 アマラオは来日8年目を迎えており、1999年のシーズン開幕時点で32歳である。彼のキャリアの絶頂期を、僕は見逃してしまったのかもしれない──ずっとそう思っていたのだが、1999年のJ2で見たアマラオも、2000年以降のJ1で見た彼も、年齢を感じさせない卓越したストライカーだった。

 シュートは強烈だった。GKがセーブしているのに、弾き出せないようなシュートを見せつけられた。

 ヘディングシュートが力強かった。PKスポットあたりでインパクトしたボールが、ゴールの隅へ勢いよく突き刺さるのである。上半身をグンとひねるシュートフォームがまた、ストライカーらしい躍動感にあふれていた。

 シュートの前段階として、落下点を読みきる眼を持っていた。DFの前へ飛び込んでフィニッシュすることも、DFの間でパスを受けることも、DFの背中を奪ってゴールへ流し込むこともできた。

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