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【Jリーグ】京都から始まったパク・チソンのサクセスストーリー 「3つの肺を持つ男」はウイング転向でブレイク (3ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Kei Totsuka

【天皇杯決勝で貴重な同点ゴール】

 センターフォワードの黒部は、ポストワークをしながら決定力を発揮した。松井はトリッキーなドリブルとラストパスで、アシスト役を担った。

 パク・チソンは無尽蔵のスタミナを誇り、チャンスメイクをしながらシーズン7ゴールを記録した。韓国では「3つの肺を持つ男」と言われる彼は、ダイナミックなランニングで相手守備陣を混乱に陥れ、ゴール前で勝負強さを発揮した。

 京都で開花した才能は、チームに初の3大タイトルをもたらす。天皇杯で優勝を飾ったのだ。

 鹿島アントラーズとのファイナルは、前半15分にビハインドを背負う展開。しかし後半に入った50分、京都の背番号7が決定力を発揮する。右サイドからの直接FKに飛び込み、相手選手に競り勝ってヘディングシュートを突き刺した。そして80分には黒部がネットを揺らし、京都は「鹿島有利」の前評判を覆したのだった。

 2005年から7シーズン在籍したマンチェスター・ユナイテッドでは、ビッグマッチでしばしばゴールを決めた。「ビッグマッチのスペシャリスト」と呼ばれたが、その資質は京都サンガでも発揮されていたのである。天皇杯決勝という大舞台で、自身にとって日本でのラストマッチで、貴重な同点弾をゲットしたのだ。

 ヨーロッパのビッグクラブのユニフォームを着たパク・チソンは、プレースタイルを拡げていった。

 そもそもオールラウンドであり、中盤から前線までをカバーできる選手だが、マンチェスター・ユナイテッドではどのポジションでもクオリティを落とすことはなく、ディフェンスの局面でも存在感を発揮した。バイプレーヤーの性格が強いものの、ビッグマッチでは価値ある働きをした。全盛時の彼は、「できないことはない」と言わしめる選手だった。

 韓国代表では、紛れもない大黒柱だった。2010年5月に日本代表と埼玉スタジアムで対峙した一戦では、フィールドを支配者として振る舞った。1999年9月の日韓戦で中田英寿が見せたような「違い」を、日本の選手たちに見せつけたのだった。

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