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【Jリーグ】京都から始まったパク・チソンのサクセスストーリー 「3つの肺を持つ男」はウイング転向でブレイク (2ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Kei Totsuka

【日本の強さに衝撃を受けて来日】

 Jリーグでの稼働年数や実績よりも、ヨーロッパでのキャリアが圧倒的なボリュームを放つ。オランダの名門PSVの一員としてチャンピオンズリーグ・ベスト4進出に貢献し、マンチェスター・ユナイテッドではアジア人初のチャンピオンズリーグ制覇。プレミアリーグ優勝は4回を数える。

 彼と同じ韓国人選手や日本人選手、さらにはイランやサウジアラビアなどの選手を含めても、ヨーロッパでこれほどのタイトルを獲得し、所属したクラブにここまではっきりと貢献を示した選手はいないだろう。中田英寿にも香川真司にも、アリ・ダエイにもできなかったことを、彼は成し遂げたのだ。

 私が最初に彼を観たのは、1999年9月7日の国立競技場だった。

 韓国を迎えたシドニー五輪最終予選の壮行試合で、フィリップ・トルシエ率いるU-22日本代表は4-1で快勝する。日本の得点者は福田健二、平瀬智行、遠藤保仁だったが、この試合の主役は中田英寿である。

 ペルージャで2シーズン目を過ごすチーム唯一の海外組は、別格のクオリティで韓国人選手に力の差を見せつけた。「最後はいつも韓国にやられる」という展開が刷り込まれていた世代の人間からすると、驚きと戸惑いを感じてしまうほどの圧勝だった。

 パク・チソンはこの試合にスタメンで出場している。ひとつ上の世代のイ・ドングッ(李東國)、ソル・ギヒョン(薛琦鉉)、アン・ヒョヨン(安孝錬)らがいるチームで、背番号12を着けてウイングバックでプレーした。

 両チームは3週間後にソウルへ舞台を移し、再び激突する。中田英寿は出場しなかったが、ここでも日本が1-0で勝利した。

 韓国側の衝撃は大きかった。日本の強さを目の当たりにしたパク・チソンは、大学卒業を待たずに翌2000年6月に来日する。同年にJ2降格も経験する京都パープルサンガの一員となった。彼我のサッカーの違いを、肌で感じるためだった。

 キャリアの転機は加入3年目に訪れる。韓国代表のレギュラーとして2002年の日韓ワールドカップでベスト4入りに貢献すると、加入1年目のボランチからウイングへポジションを移す。代表チームで躍動感あふれるプレーを見せた立ち位置で、松井大輔、黒部光昭との3トップを形成するのだ。

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