関東大学リーグ1部・中央大所属の金田喜稔が、木村和司がいる同2部・明治大と試合するのが「嫌だった」ワケ (3ページ目)
そんな時、金田に声をかけてくれたのが、日本リーグ勢のなかでは新興の存在である、日産自動車だった。
「日産に入ったら、先輩も日の丸組も、誰もおらんわけやん。(自分が)大将や。それが大きかったな」
こうして大学4年生の金田は、監督の加茂周、コーチの鈴木保の熱心な誘いもあって、日産入りを決断する。
ところがこの年、日本リーグ2部から1部に初昇格したばかりの日産は、1部最初のシーズンで最下位に終わってしまう。
大学3年の時からほぼ2年がかりで県工のOB会を説得し、新興チームに入ることに納得してもらった金田だったが、「さすがに2部(に降格)だったら、入られんかったな」。
結局、日産は2部優勝の東芝との入れ替え戦で勝ち残り、どうにか1部に残留。はたして、金田は無事、日産に入社するに至った。
と同時に、これが木村の未来にも、少なからず影響を与えることになるのである。
(文中敬称略/つづく)
木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高→明治大を経て、1981年にJSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車(横浜F・マリノスの前身)入り。チームの主軸として数々のタイトル獲得に貢献した。その間、日本代表でも「10番」を背負って活躍。1985年のメキシコW杯予選における韓国戦で決めたFKは今なお"伝説"として語り継がれている。横浜マリノスの一員としてJリーグでもプレー。1994年シーズンをもって現役を引退した。引退後は解説者、指導者として奔走。日本フットサル代表(2001年)、横浜F・マリノス(2010年~2011年)の指揮官も務めた。国際Aマッチ出場54試合26得点。
金田喜稔(かねだ・のぶとし)
1958年2月16日生まれ。広島県出身。広島工業高→中央大を経て、1980年にJSLの日産自動車入り。同郷で1年後輩の木村和司らとともに一時代を築く。大学2年生の時に初選出された日本代表でも奮闘。変幻自在のドリブルと独特なフェイントで攻撃の主軸を務めた。19歳119日という日本代表最年少得点記録を保持する。1991年に現役引退。以降、解説者、指導者として奔走し続けている。国際Aマッチ出場58試合6得点。
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