【Jリーグ連載】「サッカーがうまいか、ヘタか」読売クラブ時代からなる東京ヴェルディ・アカデミーの明確な物差し (2ページ目)
だが、たとえ股を20回抜かれても、決してあきらめることがなかった選手もいる。
菊原曰く、「それ、たぶんミニラとかが、そうじゃないですか」。
愛称"ミニラ"の傑物とは、現在ヴェルディのアカデミーでヘッドオブコーチングを務める中村忠である。
「そこで残ると、みんなが認めてくれるんですよ。『おまえ、たいしたもんだな』みたいになって。ヴェルディというと、技術的なうまさがすごくクローズアップされますけど、根性があるとか、食らいついていけるとか、やっぱりいいものはいいと認めてくれるから、すごいファイターも生まれてくる。
自分の特徴と照らし合わせながら、試合に出るために、生き残るために、自分はどこで勝負するべきかをみんなが考えてやるようになるんです。試合に出るのは、そんなに簡単ではなかったですから」
そこは、いわばブラジルやアルゼンチンを彷彿させる、ハングリーな競争の世界。時代はまだ、Jリーグなど影も形もなかった頃だが、菊原にとっては、そこでトップチーム昇格を目指すのが当たり前のこととなっていた。
「僕自身は中学3年の終わりのタイミングで、もうトップチームでやることが決まっていたし、ずっと(与那城)ジョージさん、ラモス(瑠偉)さん、戸塚(哲也)さんを見てきて、ああいうふうになりたい、あのなかでサッカーがしたいって、もうそれしかありませんでした。
トップチームは、僕が中2、中3の時に2年連続日本リーグで優勝していて、中2の時には、トップチームの中心選手だった小見(幸隆)さんが、選手兼任で僕らのコーチになってくれたり、ラモスさんが時々僕らのゲームにまざってくれたりして、一緒にプレーするなかでトップの基準を肌で感じられた。高校サッカーも盛り上がっていましたけど、僕の頭(のなか)ではほとんどゼロ。もう脇目を振るなんてことはなかったです」
2歳上の菊原を常に仰ぎ見ていた冨樫にとっても、その感覚はまた同じだった。
冨樫は「自分はサッカー小僧だったので、小学生の頃は選手権(全国高校サッカー選手権大会)に憧れていましたけど、読売に入って、それ以上の目標ができてしまった」と言い、こう続ける。
「当時(高校生の時にトップチームと練習試合をして)、ミルトン・クルスっていうFWのマークについたんですけど、90分で一回もボールに触れなかった。『ブラジル代表って、どんだけうまいんだよ!』みたいなレベルでサッカーをとらえていたので、もう選手権(に憧れる)とか、そんなことじゃなかったんです。
志郎はジュニアユースの時に(トップチームに)上がっていたので、ユースの試合にも出ない。それが当たり前なんだと思っていたので、早くトップチームに行きたい、行かなきゃいけないんだっていう感覚のほうが大きかったです」
(文中敬称略/つづく)
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