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【Jリーグ】フロンターレの華麗なパスワークは「川崎の太陽」ジュニーニョの存在なしに生まれなかった (3ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【Jリーグの発展にも寄与】

 ジュニーニョ自身、「J1では相手からのマークが厳しくなったので、ほかの選手へのアシストが増えた」と話した。そもそも1.5列目や2列目の選手として、チャンスクリエイトに長けた選手である。周りの選手を使うことに無理はなかった。

 他方、ジュニーニョと対峙するDFは、彼のスピードを封じることが求められる。スピードに乗られたら、止めるのは難しい。

 ならば、どうするか。自らのポジショニングを考えるだろう。DFライン全体をどう設定し、どのように微修正するべきかを突き詰める。縦と横のスライドに神経を巡らせて、守備ブロックに小さなすき間も作らないようにしていくはずだ。

 フロンターレのDF陣は、ジュニーニョとマッチアップすることを日常とした。難易度の高い課題と日々、取り組んでいたのである。対応力が高まらないはずはない。

 ジュニーニョとともにJ1で戦うフロンターレは、攻撃力で勝っていくイメージを作り上げた。だからといって、守備力が物足りなかったわけではなかった。

 外国人選手の獲得には、およそふたつの意味がある。

 タイトル獲得や残留を実現するために、加入後すぐに結果を残す。得点力や守備力を上げるための「個」となる。そのうえで、「チーム全体の底上げ」を促すことができれば、その外国人選手はクラブにとって忘れ得ぬ存在となる。

 ジーコやギド・ブッフバルト、ドラガン・ストイコビッチやドゥンガといった選手たちは、所属したクラブに大きなレガシーを残した。プロフェッショナリズムというものがJリーグに浸透してきた21世紀でも、レオ・シルバ、ディエゴ・オリヴェイラ、ルーカス、レアンドロ・ダミアン、アンドレス・イニエスタらが、日本人選手のロールモデルとなり、それぞれのポジションでキャリア形成の指針となった。

 ジュニーニョもそのひとりだろう。フロンターレの背番号10として歴史に名を残しつつ、彼はJリーグの発展にも寄与した選手である。

著者プロフィール

  • 戸塚 啓

    戸塚 啓 (とつか・けい)

    スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本サッカー』(小学館)

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