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選手、監督として鹿島アントラーズに在籍したジョルジーニョが古巣の9年ぶりの優勝に祝辞「アリガトウゴザイマシタ!」 (2ページ目)

  • 藤原清美●取材・文 text by Kiyomi Fujiwara

【「日本人選手には謙虚に質問する姿勢があった」】

――あなたが鹿島に入団したのは1995年、ブラジル代表としてW杯で優勝した翌年であり、バイエルン・ミュンヘンでも活躍していたため、日本では驚きと歓喜を持って迎えられました。移籍を決意した理由を教えてもらえますか?

「何よりも当時、鹿島の監督を務めていたエドゥの言葉に魅力を感じたんだ。『君には選手としてプレーするだけではなく、戦術面をオーガナイズする手伝いをしてほしい。日本人選手たちはまだ経験が浅く、ポジショニングやタイミングなど、多くの面でアドバイスを必要としている。それをピッチ上で伝えてほしい』と言われてね。

 それは僕にとって新たな挑戦だったけど、ドイツではサイドバックとしてだけでなく、ボランチとしてもプレーしていたから、手助けできると考えた。すごくモチベーションが高まったよ」

――実際に鹿島に行って、プレー以外ではどんな風にチームを手助けしていましたか?

「日本人選手たちは急ピッチで戦術やポジショニングを理解していったよ。なぜか。彼らには謙虚に質問する姿勢があったからだ。

 例えば、SBのナラハシ(名良橋晃)はいつも僕に聞きに来ていた。『オーバーラップのタイミングは?』、『中に持ち込む時に注意すべきことは?』などと。僕らは『ボールをキープすべき時か、パスを出すべき時か、シュートを打つべき時か、正しい判断をするためには......』とか、そういう話をしていたんだ。クロスの練習も一緒に徹底的にやって、彼はクロスの名手になったよ。完璧なカーブをかけてね。彼の努力の賜物だ」

――大変だと感じたことは?

「もちろん、時間と忍耐は必要だ。たとえば、練習のあとに話をしたり、個々の技術の練習を一緒にやったりするのもひとつ。でも、それまで僕がプレーしていたクラブでは、全員が戦術や自分の役割を理解していたし、僕もそのなかで良いプレーをするのが仕事だったんだ。それが、鹿島ではみんなが僕の経験から何かを得ようとしてくれた。大きなやり甲斐があったよ。

 それに、僕も多くを学んだ。たとえば、日本人はとても規律正しく従順だけど、同時に彼らも理解されたいと思っていることとか、頭ごなしに言うよりも、愛情を持って抱きしめながら接するほうがいいこと、とか。"サッカーをするのは人間であり、人は一人ひとり違うんだ"という当たり前のことを、あの頃、指導者的な目線で理解し始めたのが、監督としての僕の糧になっている」

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