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史上初めて監督、選手の双方でJリーグカップを制したジョルジーニョ「選手たちには感謝しかない」 (2ページ目)

  • 藤原清美●取材・文 text by Kiyomi Fujiwara

【鹿島アントラーズとの固い絆】

――あなたはナビスコカップで、選手と監督の双方で優勝した初めての人物になりました。

「とても大きな喜びだった。選手として優勝した時は、大会MVPにも選ばれたんだ。副賞として、ものすごくたくさんのビスケットが家に届いて、寝室がビスケットでいっぱいになったよ(笑)。クラブのスタッフやご近所さん、友達など多くの人に、優勝の喜びと共にお裾分けをしたんだ。

 監督としての優勝も、サポーターが歓喜に沸く姿を見て感動した。Jリーグで苦しい時を一緒に戦ったサポーターが、スタンドで一斉に立ち上がって手を高くあげて、スタジアム中が腕だらけになったように見えた(笑)。あの光景は忘れられないね」

――あなたが選手だった1998年に入団した小笠原(満男)、本山(雅志)、中田(浩二)、曽ヶ端(準)という若い世代が、監督として戻ってきた時には、鹿島の主力に成長していました。

「その2年前に入ったヤナギ(柳沢敦)も含め、技術力が高く、大きなポテンシャルを感じさせる選手たちだった。さらに良かったのは、彼らが若い時期に勝利の味を知ったことだ。僕やクロサキ(黒崎久志)、ハセガワ(長谷川祥之)、アキタ(秋田豊)、オクノ(奥野僚右)、イシイ(石井正忠)、ホンダ(本田泰人)、ナラハシ(名良橋晃)らと一緒に、すばらしいレガシーを構築した。彼らも成長し、鹿島のために多くのことを成し遂げた。

 僕が監督として戻った時には、ナカタは負傷離脱していて、モトヤマもそれ以前のケガや病気によって、ベストコンディションを取り戻せていなかった。シーズンを通してほとんどの試合に出場したのは、オガサワラだ。優れた技術を備え、落ち着いて物事を観察するタイプの選手で、攻撃を組み立て、キャプテンも務めた。僕は戦術面の問題の解決法など、彼と多くの議論を重ねた。

 その後、彼が引退し、指導者としてスタートした頃の仕事を見る機会があってね。ジーコがリオデジャネイロで毎年開催している、U-15日本ブラジル友好カップでのことだ。あの時、僕はすばらしい監督が生まれつつあることを確信したよ」

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