Jリーグ史上初のトーゴ人選手、ジャン・クルードのタフな少年時代「サッカーで生きていく未来なんて...」 (2ページ目)
【いつしかサッカーに夢中に】
父は元サッカー選手だった。ジャンは「お父さんが現役選手としてプレーしている姿は見たことがない」そうだが、幼少期には「家にはボールがあって、シュートの仕方やパスの蹴り方を教わった」と言う。しかし、最愛の父はジャンが10歳の時に他界してしまった。
それをきっかけに一家は困窮した。
「お父さんが生きていた頃は、彼が親族を支えてくれていたけれど、亡くなってからは本当に大変だった。何よりも辛かったのは、頼れる身内があまりいなかったことだ。大家族ではあったけれど、僕はどこかでずっと孤独を感じていた。
サッカーを始めたばかりの頃、応援してくれる人や助けてくれる人がまったくいなかったのが、孤独を感じていた最大の理由だ。身近に『がんばれ!』とか、『君ならできる!』とか、『自分を信じて』とか言ってサポートしてくれる人はおらず、家で座っているとひとりぼっちのように感じてすごく寂しかった」
実はジャンが本格的にサッカーを始めたのは、11歳と遅い。幼少期からサッカーボールに親しみ、遊びでボールを蹴ってはいたが、父の死によって家庭環境が激変したことなども影響して、競技に打ち込める状態ではなかったという。
それでもいつしかサッカーに「夢中になっていた」。ボールを蹴っていれば、ほかのことは忘れられる。孤独に打ち勝ち、自分の力で未来を切り開いていく力をサッカーから得ていた。
「11歳の時、遊んでいて足を骨折したんだ。それでしばらく入院することになって、もちろんサッカーはできず、学校の勉強に集中しなければならなかった。1カ月くらいして足が治ってからはすぐにプレーできるようになったわけだけど、ちゃんと治る前も松葉杖をつきながらボールを蹴っていたくらい熱中していたよ」
転機となったのは2018年9月にニジェールで行われたアフリカU-17ネーションズカップ(U-17アフリカ選手権)の予選だった。当時まだ14歳だったジャンは、いとこのイーブスと共にU-17トーゴ代表としてニジェールやガーナと対戦し、国際舞台に立った。
2 / 3

