【部活やろうぜ!】森重真人が仲間と部室で読んでいたマンガは? 好きな作品はスラムダンクよりも...... (3ページ目)
【「クラブのユースチームには、絶対に負けたくなかった」】
「ありがたいですよね。そういうことを言ってくれる人がいて。その時は自分でもわかっていなかったので、イラッとしましたけど、いま思うと本当によかった」
以降、森重はサッカー部の誰よりもハードワークするようになった。高校選手権の全国大会には、1年時のみ出場し(3回戦で、のちに得点王となる平山相太を擁し、優勝することになる国見に1-2と惜敗)、2、3年の時は県大会の決勝で敗北。それでも高卒で大分トリニータに入団できたのは、指導者からの指摘を受け止めて奮起した結果だろう。
森重の高校3年間の部活時代に、嫌な記憶はほとんどない。理不尽な先輩の蹴りを受け流し、タフな走り込みを巧みにこなし、調子に乗っていた自分を正してくれる良き指導者にも出会えた。
「辛かったことといえば、通学くらいでしたね。1時間くらいかけて行き帰りしていたので、遠いなあ、と感じていました」
また部活では、ハングリー精神も養われたという。
「クラブのユースチームと練習試合をすることもあって、彼らには絶対に負けたくないという思いを持ちながらやっていました。絶対に這い上がってやるぞ、と強く思っていて。その感覚というか、気持ちというか、そういったものがあってこそ、今の自分があると思います」
自分にとって本当に大切なことに早くから気づき、それに集中できる環境と性格、そして能力に恵まれた森重は、高卒でプロになり、日本代表で41キャップを刻んだ。2010年から所属するFC東京ではキャプテンを務めた時期もあり、38歳の今もピッチ上で存在感を放っている。
その原点、とはいわずとも、足跡の重要な一部には"部活"があった。
(了)
森重真人(もりしげ・まさと)
1987年5月21日生まれ、広島県広島市出身。サンフレッチェ広島ジュニアユースからユースには上がれず、広島皆実高へ。1年生時から中盤のレギュラーとなり、全国高校サッカー選手権に出場し、3回戦で国見に敗れた。2、3年の時は県大会の決勝で敗退するも、高卒で大分トリニータに入団。シャムスカ監督のもと、センターバックの定位置を掴み、2008年のJリーグカップを制した。2010年にFC東京に移籍し、2011年の天皇杯、2020年のJリーグカップ優勝に貢献。日本代表では41試合に出場し、2得点を記録している。
著者プロフィール
井川洋一 (いがわ・よういち)
スポーツライター、編集者、翻訳者、コーディネーター。学生時代にニューヨークで写真を学び、現地の情報誌でキャリアを歩み始める。帰国後、『サッカーダイジェスト』で記者兼編集者を務める間に英『PA Sport』通信から誘われ、香港へ転職。『UEFA.com日本語版』の編集責任者を7年間務めた。欧州や南米、アフリカなど世界中に幅広いネットワークを持ち、現在は様々なメディアに寄稿する。1978年、福岡県生まれ。
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