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37歳・伊藤翔が追求する"やりがい"「横浜FCが今季、J1に残留できるかどうかは大きなターニングポイントになる」 (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

「ポステコグルー監督の戦術のもと、僕に限らず、みんなのプレーが目に見えて変化していったというか。もちろん、そもそものスキルの高さもあってこそだと思いますけど、いろんな選手が『大人になってもこんなに成長できるのか』ってくらい変わっていくのを目の当たりにして、自分の成長欲がより膨らんでいく感覚もありました。

 当時の僕はちょうど30歳に突入した年だったんですけど、僕がこうして今、キャリアの"ボーナスステージ"を過ごせているのも、あのシーズンに受けた刺激とか、点を取ることに対する考え方やプレーの幅を持てたからだと思っています」

 もっとも、その年限りで伊藤は戦いの場を鹿島アントラーズに移している。サッカー観におけるターニングポイントだと言い切れるシーズンを過ごしながら、なぜ、新天地を求めたのだろうか。

「サッカーをしてきて、サッカーがうまいとか、いい選手がいるだけでは勝てないという現実も見てきたなかで、オファーをいただいて、素直に"鹿島アントラーズ"というクラブに惹かれたというか。鹿島はなぜ勝ち続けるチームでいられるのか、Jリーグで最も多いタイトルを獲得してきたのか、という根幹を知りたいと思いました。

 実際、鹿島で過ごした2年間は鹿島のフィロソフィというのかな。チームだけではなく、クラブとしてのプロフェッショナリズムに触れてすごく勉強になったし、その歴史のなかで着実に育んできた軸がチームの強さ、伝統になっているのも感じました。

 残念ながら僕個人の成績は......それこそ2年目は半分弱しか試合にも出られなかったけど、そのシーズンはエヴェラウドと綺世(上田/現フェイエノールト)がもうめちゃくちゃよかったので。この世界ではいい選手、結果を出せる選手が試合に出るのは当たり前だからこそ、そこは冷静に受け止めていたし、その状況を覆せないのは自分の実力不足だと思っていました。

 ポステコグルー監督によって広げてもらった点を取るための"幅"を持ってしても、足りていないという現実を突きつけられて、まだまだやらなくちゃいけないとネジを巻き直せたのもよかったと思っています」

 そんな思いのもと、2021年から在籍する横浜FCでのキャリアは、今年で5年目を迎えた。実は、鹿島での終盤は新型コロナウイルスを患って体調を大きく崩し、本来のコンディションを取り戻すのに時間がかかったという経験も。それもあって、2021年8月にJ2の松本山雅FCに期限付き移籍をし、ひとつステージを下げて"戦える体"を取り戻すための時間を過ごした。そして、2022年には再び横浜FCに復帰。以降は主軸のひとりとして戦いを続けている。

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