岡野雅行が啞然とした高校初の練習試合「ブルース・リーの映画以外で、あんなに人が倒れていくのを初めて見た」 (2ページ目)
練習だけではだんだんつまらくなってくるので、練習試合でもやろうかと考えるのですが、そもそも対戦相手を見つけるのがひと苦労。サッカーをやっていた先輩と顧問の先生、それと僕の3人でいろんな高校に電話をかけてみるんですけど、どこも「おたくの学校とは関わりたくないです」みたいな感じで、相手にしてもらえない。島根県では有名な高校だったので、仕方がないんですけどね。
そうして、ようやく見つかった初めての練習試合の相手は、絵に描いたようなヤンキー校でした。
漫画『クローズ』(作者:髙橋ヒロシ/秋田書店)に出てくる鈴蘭男子高校ってあるじゃないですか。まさにあれです、あれ。校舎の壁にはスプレー書きがされまくっていて、教室の窓ガラスも割れまくり......。「本当にこんな高校があるんだな」ってビックリしました。
それでも試合ができるならいいか、と思って準備していたら、相手は全員制服姿のまま、スパイクだけ履いて出てきた。ボンタンをはいた連中が、マスクしていたり、ガムをかんでいたりで、その時点で僕は嫌な予感がしていたんですけど、先輩たちは脇でニヤニヤと笑っていました。
これは絶対何かやるぞと思っていたら、案の定、試合開始の笛と同時に、相手に向かって走っていって飛び蹴りです。
こうなると、こっちのチームにはテコンドーチャンピオンとか、ボクシングチャンピオンとかもいたので、やっぱり強い。僕、ブルース・リーの映画以外で、あんなに人が次々に倒れていくのを初めて見ました。
ボールはまったく動かず、得点も入らなかったんですけど、先輩たちによれば、勝ったのはうちの高校だったようです。
ただ、ここから先は少しいい話になるんですけど......、その後、初めてまともに練習試合をしたら0-22で負けて、その次も10点以上取られて連戦連敗。だけど、そのスコアが、次の試合では0-5になり、その次は0-2になり、ついに0-0になったんです。
その試合のあとは、ただの練習試合なのに、全員で抱き合って大泣きでしたね。
だって、小学校からサッカーやっていたのは僕くらいで、ほとんどが高校からサッカーを始めたヤツらばかりなんですよ。それまでは、人しか蹴ったことがないんですから。
そんなヤツらが、そこまで成長していくのをそばで見ていたら、僕も感動したし、「オレももっとやんなきゃ!」って思わされましたよね、逆に。
僕がほぼ監督という感じで教えていたんですけど、意外と練習も真面目に一生懸命やってくれたんですよね。みんな、サッカーが好きになっていったんじゃないのかな。
(つづく)
岡野雅行(おかの・まさゆき)
1972年7月25日生まれ。神奈川県出身。松江日大高を卒業後、日本大学に進学。1994年、大学を中退し浦和レッズ入り。快速FWとして1年目から活躍。1995年には日本代表に選出され、1997年のW杯予選アジア第3代表決定戦ではVゴールを決めて日本を初のW杯出場に導いた。1998年フランスW杯では第2戦のクロアチア戦で途中出場。その後も浦和で奮闘し、2001年にヴィッセル神戸に期限付き移籍。2002年に完全移籍したあと、2004年には完全移籍で浦和に復帰。2009年2月には香港リーグの天水圍飛馬に移籍し、同年8月には当時JFLのガイナーレ鳥取に移籍した。2013シーズンを最後に現役引退。以降、同クラブのゼネラルマネジャー、代表取締役GMなどを歴任し、2024年12月に南葛SC事業本部長に就任。2025年1月には古巣・浦和のブランドアンバサダーにも就任した。
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