39歳・家長昭博の思考「勝負の世界に生きている自覚はありながらも、勝った、負けたに感情が動かされることはあまりない」 (4ページ目)
では、この先は――。馴染んでないと言いながらも、9年もの時間を過ごし、フィールド最年長選手になった今、家長は川崎で何を描くのか。この先のキャリアに何を見据えるのか。
「正直、いわゆる、メラメラした野心みたいなものはないです。どんなプレーがしたいとか、どんな存在になりたいとかもない。好きなようにプレーして、好きなように生きて、好きなようにやめるのが理想......って、それが一番難しいと思うので、先行きは不安(笑)。ただ......あくまで僕の基準ですけど、自分が思うレベルでサッカーができなくなったら、その時はアッサリやめるんちゃうかな。
あと、勝つことがすべてじゃないとか言っておきながらなんですけど、もう一回リーグ優勝はしたいかな。今のメンバーでタイトルを獲ったことがないから。勝つことがすべてじゃないというのは、勝ちたくないということではないし、優勝した瞬間のあのワチャワチャした感じは意外と、好んでいるので」
若い頃からどこか達観した目を持ちながら、どんな時もサッカーにはまっすぐに、正直に。器用じゃないからこそ、時に悩み、自信を失いながらも"根性"で自分を奮い立たせ、正解がない世界だからこそ、答えを求めず、けれども、芯を持ってユラユラ、ユラユラと我が道をゆく。他を寄せつけない圧倒的な技術と才能は、そうして今も驚きを生み続けている。
(おわり)
家長昭博(いえなが・あきひろ)
1986年6月13日生まれ。京都府出身。ガンバ大阪のアカデミーで育ち、高校2年生の時にトップチームへ昇格。翌2004年、J1デビュー。以降、若き天才プレーヤーとして脚光を浴びるが、レギュラーに定着するまでには至らず、2008年から大分トリニータ、2010年からはセレッソ大阪へ期限付き移籍。そして2011年、マジョルカ(スペイン)へ完全移籍。その後、2012年に蔚山現代(韓国)、古巣のガンバに期限付き移籍。2013年夏にマジョルカに復帰したあと、2014年に大宮アルディージャに完全移籍。2017年には川崎フロンターレへ完全移籍し、以降チームの主力として数々のタイトル奪取に貢献する。2018年にはJリーグのMVPを受賞。
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