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39歳・家長昭博の思考「勝負の世界に生きている自覚はありながらも、勝った、負けたに感情が動かされることはあまりない」 (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

 でもそれって、そこに秀でたプレーや結果がないと単なるわがままでしかないわけで......。実際、だからオニさんも最初は僕を使わなかったんじゃないかな。その状況をどうにかするための、根性というか。人より死ぬ気で頑張って、監督やチームメイトに『もしかしたら、勝つためにはこいつが必要かもな』と思わせるだけのプレーを見せて、認めてもらうしかない。

 だから、やらなあかんことはやるし、自分に必要だと感じたことは全部やる。......って言うと、めちゃストイックに聞こえますけど、そんなことは全然ないです。性格的にそれは無理。ただ『こいつが必要かもな』って思わせる秀でたプレーと結果は、今も自分に求め続けています」

 そうした自分との戦いにも向き合いながら手にした最終節での、逆転優勝。彼の"根性"がひとつの形として結実した瞬間でもあった。

「自分にとっては2005年以来のリーグタイトルでしたけど、ガンバ大阪時代のそれはチームメイトに恵まれて、自分はただ試合に出て、言われたことをやっていただけで、何かをしたという実感もないまま、気づいたら優勝していましたから。でも2017年は、少なからず力になれたという感覚はあったし、僕がフロンターレに求められた理由はタイトル手に入れるためだったと考えても、素直にうれしかったです」
 
 さらに言えば、2018年は32試合に出場し、6得点7アシストとシーズンを通して稼働したなかでリーグ連覇を実現し、キャリアでは初めてJリーグMVPを受賞したのも、いい思い出だと振り返る。

「チームの結果が一番なので、個人の結果はそこに付随するものでしかないですけど、うれしかったです」

 ただし、そこに続いた言葉はいかにも家長らしいものだった。

「うれしかったんですけど......結果は、僕にとっては今も、ああこういうもんなんやな、という体験のひとつでしかないというか。勝った瞬間、タイトルを手にした瞬間はもちろんうれしかったし、クラブやサポーターのみなさんにとっても大きな喜びであり、財産になったと思います。

 でも僕自身にとっては、その瞬間を通りすぎれば、体験として得られたという事実が残るだけで、それ以上でも以下でもないのかな、と。もちろん、自分のサッカーにとって、その"体験"はすごく大事にしていることなので、新しい体験はたくさんできたほうがいいに決まっています。けど、それがはたして、勝つことやタイトルを獲ることでしか得られないのかと言えば、そうではない。

 そういう意味では......勝負の世界に生きている自覚はありながらも、勝った、負けたに感情が大きく動かされることはあまりないです。実際、勝ったから、タイトルが獲れたからといって、サッカーが上手くなるわけでもないし、負けたからサッカーが下手になるわけでもない。だからこそ、僕は結果以上にその奥にあるもの......自分がどういう体験をできたかのほうが興味あります」

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