川崎フロンターレ・小林悠が大学時代、サッカー部の先輩に向かって「ちゃんと部活やれよ!」と言った理由 (2ページ目)
【プロを意識した太田宏介の存在】
だが、本心は別のところにあった。奨学金制度を利用するからと親を説得して、大学に進んだのは、かすかな野望を抱いていたからだ。
「なんか、辞められなかったし、あきらめられなかったんですよね。子どものころからずっとサッカーをやってきていたので、スッと辞められなかったというか。まだ蹴りたいな、みたいな。
そこには、(プロになる)可能性がゼロではない、という思いもありました。ホント、ごくわずかですよ。もしかしたら、1パーセントにも満たないかもしれない。だから、周りにはなかなか言えなかったけど、自分のなかでは続けていれば、ワンチャンあるんじゃないかと思っていました」
自分の可能性にフタをしなかったのは、近しい存在の影響もあった。小学生時代から知り、高校ではチームメイトとして切磋琢磨した太田宏介が、卒業と同時に横浜FCに加入した。
「宏介の存在は大きく、やっぱり一目置いていました。その一方で、宏介が高校を卒業してプロになることが決まった時、すごいはすごいと思いましたけど、身近にいる宏介が手が届いたのであれば、自分だってがんばれば届くんじゃないかとも思ったんです。だから、宏介には『おめでとう』も、『うらやましい』もあったけど、同時に『俺もなれるんじゃないか』という希望ももらいました」
1パーセントでも残されているならば、自分の可能性にかけたい。
「だから大学に進んだ時は、サッカーを続けるからにはプロを目指そうと思っていました」
関東1部リーグではなく、2部だった拓殖大を選んだのは、本人も語るように18歳の甘さであり、矛盾とも言えるだろう。だが、「その選択」も「あきらめの悪さ」も、川崎での未来につながっている。
「でも、大学のサッカー部は、想像していたものとはまったく違いましたね」
高校のサッカー部とは異なり、大学のサッカー部は自立した大人の集団だったことに圧倒されたのだろうと思ったが、違った。
「いや、悪い意味で、です。入ってすぐに、チャラチャラしているなって思いましたから。だって、ケラケラ笑いながらサッカーやっているんですよ。それがもう信じられなかった。高校では真剣に取り組んできたサッカー部のイメージが根底から一気に壊れるような感覚でした」
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