浦和レッズ2006年J1初優勝を語る 坪井慶介「小野伸二でさえベンチに回ることも珍しくなかった」 (3ページ目)
【紅白戦で本気のケンカもするチーム】
振り返れば、不思議なチームでしたよ。緻密な戦術練習なんて、ほとんどやった記憶がありません。なにせ、ギドの戦術は「勝て」でしたからね(笑)。
でも、ギドは戦術家ではありませんが、一流のモチベーターであったことは間違いありません。このタイミングでこの選手をどのように使うかとか、サイドのヤマさんをいきなりトップ下で起用したりとか、チーム内の競争を促しながらいろんなところに目を配って、調子のいい選手を見極めていたと思います。
もちろん、試合に出られない選手からすれば、面白くないところもあったかもしれません。さっきも言ったように、あの年の浦和には個性的で自己主張の強い選手がたくさんいましたから、なおさらだったと思います。でも、チーム内から不平不満が出ることはほとんどありませんでした。それは、監督にカリスマ性があったからだと思います。
それともうひとつ、岡野さんの存在が大きかったですね。岡野さんは当時、チーム最年長の34歳で、彼自身もサブの立場ではありました。でも、クサることはありませんでしたし、率先してチームに明るい雰囲気を持ち込んでくれて、常に前向きな空気を作ってくれていました。
オフの前日には、いろんな選手を飲みに連れて行っていましたね。コミュニケーションを取って、選手同士が仲良くなるような橋渡しもしてくれていました。
ピッチ内ではライバルだし、争いも多いし、紅白戦では本気のケンカもするようなチームだったんですけど、それでも一枚岩になれたのは、岡野さんのそうした気配りがあったからこそ。傍から見たら「ただ、ふざけているだけの人」なんですけど(笑)、縁の下の力持ちとしていろんなサポートをしてくれていたからこそ、優勝という目標に向かって突き進めたのだと思っています。
(つづく)
◆坪井慶介・中編>>「2006年の浦和レッズはなぜ強かったのか」
【profile】
坪井慶介(つぼい・けいすけ)
1979年9月16日生まれ、東京都多摩市出身。四日市中央工→福岡大を経て2002年に浦和レッズに加入する。プロ初年度から存在感を示して新人王受賞。2003年には日本代表に初招集され、2006年ワールドカップも経験。浦和では在籍13年間でリーグカップ、天皇杯、J1リーグ、ACLのタイトルを獲得し、2015年に移籍した湘南ベルマーレでもJ2リーグ優勝に貢献した。2019年にレノファ山口で現役引退。現在はサッカー解説者として活躍中。国際Aマッチ出場40試合0得点。ポジション=DF。身長179cm、体重70kg。
著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。
【図】浦和レッズの選手は?「2025 J1前半戦ベストイレブン」
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