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浦和レッズ2006年J1初優勝を語る 坪井慶介「小野伸二でさえベンチに回ることも珍しくなかった」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【特にうるさかった岡野雅行と闘莉王】

 当時の浦和には、本当に個性的な選手が揃っていました。ひと言で言えば、うるさかったですね(笑)。とにかく自己主張の強い選手たちがたくさんいたので、ピッチ内外で騒がしかったですよ。

 特にうるさかったのは、岡野(雅行)さんと闘莉王。闘莉王に関しては、日本人とだけじゃなく、ワシントンやポンテらブラジル人選手ともふざけ合っていたので、本当に元気だなと(笑)。

 今、振り返ると、オンとオフの差が大きかったチームだったと思います。

 練習前は、みんなでふざけ合っているんですよ。当時は練習場にサポーターがたくさん来て見学していたんですが、「このふざけた人たちは本当に大丈夫か?」と思っていたんじゃないでしょうか(笑)。

 ウォーミングアップの時もだいたい、みんなふざけていました。まずは岡野さんがヒラ(平川忠亮)のことをいじり始めるので、ほかの選手もいじり始めて、最終的にはギド(ブッフバルト監督)も混ざってやっているくらいでしたから。

 でも、そんな雰囲気で練習に入るんですけど、対人プレーになると空気が一変するんです。特に紅白戦の緊張感はすごかったですね。いいメンバーがたくさんいたということもありましたが、本当に公式戦のようにバチバチとやり合っていました。

 当時も冗談で言っていたんですが、「紅白戦を放送すれば視聴率が取れるんじゃないか」って。それくらい激しかったし、レベルが高かったと思います。

 ギドは、そういう空気を作るのがうまかったんですよ。ひとつの勝負にこだわるっていうところは、練習中から求められていましたね。この紅白戦でアピールできなければ、試合には出られない。みんな、それくらいの覚悟で取り組んでいたと思います。

 GKは山岸(範宏)さんと都築(龍太)さんがひとつのポジションを争い、最終ラインには僕と闘莉王、ホリさん(堀之内聖)のほかにも、ネネやウチさん(内舘秀樹)がいました。

 中盤には(鈴木)啓太、ハセ(長谷部誠)、三都主、ヒラ、ヤマさん(山田暢久)、ポンテと、それぞれのポジションに実力者がいて、伸二でさえベンチに回ることも珍しくはありませんでした。

 FWはワシントンという絶対的な存在がいて、永井(雄一郎)さんや(田中)達也もなかなか試合に出られないくらいでしたね。代表クラスの選手がたくさんいるなかで、チーム内の競争は常に激しかったです。

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