高校サッカー選手権がビッグイベントになったきっかけ 人気が一気に高まった48年前のスリリングな決勝戦 (4ページ目)
【首都圏開催最初の大会決勝、浦和南vs静岡学園のインパクト】
そしてさらなる規模拡大を目指して、この大会は首都圏で開催されることになった。もちろん、関西の関係者からは反発もあったが、首都圏開催の最初の第55回大会は大成功に終わった。
浦和南の2連覇という話題に加えて、静岡学園がこれまでの日本のサッカーとは異質の、個人技を生かしたサッカーで旋風を巻き起こしたのだ。
それまでの日本では「日本人はテクニックでは外国勢に劣るから、その分を走ることでカバーすべきだ」と考えられていた。高校サッカーでも「蹴って走るサッカー」が主流だった。
そうしたなかで、静岡学園を率いる井田勝通監督はブラジルスタイルを志向。ドリブルで勝負することを徹底させた。ゆっくりとボールを持ってドリブルで崩してゆくサッカーは、新鮮そのものだった。そして、初出場の静岡学園はあれよあれよという間に決勝に進出。2連覇を狙う浦和南と対戦した。
そして、決勝戦では浦和南が1年生の水沼貴史(元日本代表)の活躍などで3点を先行し、それを静岡学園が追う展開となり、終わってみれば5対4というスコアで浦和南が勝利。このスリリングな決勝戦によって、高校サッカー人気は一段と高まったのだ。
第55回大会の高校サッカー選手権のチケット(画像は後藤氏提供)この記事に関連する写真を見る その後は、開催地東京の代表である帝京が一時代を築き、清水東や清水商業、静岡学園をはじめとする静岡勢と競り合うことで、高校サッカー人気はますます高まっていったのである。
著者プロフィール
後藤健生 (ごとう・たけお)
1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。
【写真】第103回全国高校サッカー選手権大会の注目選手たち
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