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高校サッカー選手権がビッグイベントになったきっかけ 人気が一気に高まった48年前のスリリングな決勝戦 (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【かつては日本サッカー界最大のイベント】

 高校選手権というのは伝統ある大会なので、僕たちは「静岡学園だから個人技が高いはず」とか「静岡勢だから優勝候補」といったように、ついつい固定観念で判断してしまいがちだ。

 だが、高校チームはJリーグとは違って、基本的に毎年選手のほとんどが入れ替わるのだ。今年のチームが昨年のチームと同じわけはない。もちろん、高校チームは監督の色が強く出るから、共通点も大きいのだけれど。

 さらに何年も経過すれば、指導者も交代するし、チームの置かれた環境も異なってくる。

 東福岡のベスト4入りは9大会ぶりだそうだが、9年も経過すれば、昔どおりのチームを作れるはずもない。

 3回戦で敗退した帝京はかつて選手権で6度の優勝を飾った名門校だが、「15大会ぶり」の出場ともなれば、かつての帝京と比べるのは無理なことだ。しかし、「名門の復活」はメディア的には大きな話題。現場では黄金時代と比較するような質問が飛び交っていたが、選手たちやスタッフにとっては迷惑な話だったのではないだろうか。

 静岡学園や帝京が活躍した1970年代から80年代にかけての全国高校サッカー選手権大会は、日本サッカー界最大のイベントだった。

 Jリーグができる前の時代、日本代表はW杯でも五輪でもアジア予選を突破することができず、トップリーグである日本サッカーリーグ(JSL)には停滞感が漂い、スタンドでは閑古鳥が鳴いていた。

 そんななか、旧・国立競技場が満員になる試合と言えば、欧州・南米の王者が対戦するトヨタカップと高校選手権しかなかった。

 Jリーグ発足前、選手の育成はほぼ全面的に高校のサッカー部が担っていた。高校選手権は年代別代表選手など、その世代のトップ選手が出場して鎬を削る場だった。JSLには大きな夢を抱けなかった時代、高校生たちにとって選手権こそが最高の目標であり、そこで燃え尽きてしまう選手も少なくなかった。

 だが、最近では年代別代表の多くがJクラブの下部組織出身になっているし、トップクラスの選手たちの目標はプロ入りであり、海外挑戦だ。実際、今年の高岡伶颯(日章学園)のように高校卒業とともに欧州に渡る選手も今では珍しくない。

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