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ブーイングをエネルギーに変えてきた森脇良太「世界でも通用する監督になりたいと本気で思っています」 (4ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【僕みたいな監督がいても面白い】

── これから始まるセカンドキャリアについても聞かせてください。先日、愛媛FCポジティブエナジャイザーに就任することが発表されましたが、具体的にはどういった活動をするのでしょうか。

「その人といたら元気になれる、笑顔になれる、明るくなれるっていうのがポジティブエナジャイザーということらしくて、森脇にはぴったりだということで、そういう肩書になりました。

 簡単に言うと、愛媛FCを盛り上げる、愛媛全体を盛り上げるということなんですけど、僕自身は愛媛を盛り上げることはもちろん、Jリーグを、日本サッカー全体を盛り上げるポジティブエナジャイザーとしてやっていきたいと考えています」

── Jリーグの許可が必要ですね。

「この前、番組の収録でノノさん(野々村芳和チェアマン)と一緒だったんですよ。それで、Jリーグポジティブエナジャイザーとしてのオファーを待ってますと言ったら、『大丈夫です』と軽くあしらわれました(笑)。その時にJリーグの関係者も一緒にいたので、その方にもお願いしたら、それまでは目が合っていたのに、その時だけは目線をそらされて......」

── その肩書を手に入れられるかはさておき、メディアなどに出ながら、愛媛の魅力、サッカーの魅力を発信する役割を担っていくのですね。

「そうです。愛媛FCの価値を上げていきたいし、愛媛県のブランドも全国の方たちに伝えていきたい。それプラス、いろんなメディアに出ながら、サッカーの魅力、Jリーグの魅力を伝えていきたいなと。

 今までは相手のサポーターからも、自分のチームのサポーターからもブーイングを受けてきたんですけど、今度は一般の方からもブーイングを受けるような、そんな存在になれたら面白いですね」

── 指導者の道には進まないのですか?

「自分のなかの最大の目標は、監督になることです。それこそ、世界でも通用する監督になりたいと本気で思っています。そのためには自分の思いを言語化する力を身につけなければいけないと思っているので、ポジティブエナジャイザーの仕事をしながら、そういう勉強もしていくつもりです。

 選手としてすべてのタイトルを獲らせてもらいましたが、今度は監督としてもすべてのタイトルを獲りたいという野望があります。またいろんな人から批判やブーイングを受けるかもしれないですけど、僕みたいな監督がいても面白いじゃないですか」

<了>


【profile】
森脇良太(もりわき・りょうた)
1986年4月6日生まれ、広島県福山市出身。2005年にサンフレッチェ広島ユースからトップチームに昇格。翌年から愛媛FCで2年間プレーしたのち、2008年に復帰してJ1優勝(2012年)に貢献する。2013年に浦和レッズへ移籍し、ルヴァンカップ、ACL、天皇杯を制す。その後、京都サンガF.C.を経て2022年から愛媛で再びプレーし、2024年シーズン後にユニフォームを脱いだ。日本代表歴=3試合得点。ポジション=DF。身長178cm、体重72kg。

著者プロフィール

  • 原山裕平

    原山裕平 (はらやま・ゆうへい)

    スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。

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