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引退した森脇良太が振り返る現役生活20年の原点「公園の水道をシャワー替わりに......」 (4ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【クルマは常にスパイク臭が蔓延】

── 結果的に、愛媛に移籍したことは大きなターニングポイントになりました。

「そうなんです。いろんな人に相談するなかで、自分は愛媛でがんばって、広島から戻ってきてくれって声をかけてもらえるようにやってやろうと。愛媛では本当にたくさんの試合に出させてもらって、そのなかでサッカーの楽しさだったり、プロの世界は試合に出てナンボだということをあらためて感じさせてもらいました。

 試合に出て、勝ったらうれしいし、ファン・サポーターのみなさんと一緒に喜べる時間はこんなにも幸せなんだなってことを、愛媛で学ばせてもらった。試合に出るなかで、失った自信も徐々に取り戻すことができました。キャリアを振り返っても、愛媛での2年間は本当に大きかったと思います」

── 練習環境なども含め、厳しい部分もあったのでは?

「当時は練習場も転々としていましたし、シャワーがない場所もあったので、練習後に公園の水道をシャワー替わりにして汗を流すこともありました。

 あとは当時、僕はクルマを持っていたんですけど、同じマンションに住んでいる先輩を何人か乗せて、練習場に行っていたんです。でも、J1のチームみたいにスパイクを置く場所がないので、自分のクルマのトランクがスパイク置き場になっていて。だから、僕のクルマは常にスパイク臭が蔓延していました(笑)。

 夏場なんて、やばかったですよ。しかも、家に着いたらスパイクを持って降りてくれればいいのに、そのまま置きっぱなしにする人もいて。次の日クルマに乗ると、生乾きみたいな匂いがするんですよ。もう、勘弁してくれって思いましたけど、それも今考えたらいい思い出かなと。

 環境はよくなかったけど、本当に楽しかったし、切磋琢磨して、みんなで這い上がるんだという強い思いを持った集団でした。今の愛媛にはすばらしい環境がありますけど、当時の厳しい環境のなかでハングリー精神というものが培われたと思います」

(つづく)

◆森脇良太・中編>>衝撃を受けたミシャの言葉「こんな監督がいるのか」


【profile】
森脇良太(もりわき・りょうた)
1986年4月6日生まれ、広島県福山市出身。2005年にサンフレッチェ広島ユースからトップチームに昇格。翌年から愛媛FCで2年間プレーしたのち、2008年に復帰してJ1優勝(2012年)に貢献する。2013年に浦和レッズへ移籍し、ルヴァンカップ、ACL、天皇杯を制す。その後、京都サンガF.C.を経て2022年から愛媛で再びプレーし、2024年シーズン後にユニフォームを脱いだ。日本代表歴=3試合得点。ポジション=DF。身長178cm、体重72kg。

著者プロフィール

  • 原山裕平

    原山裕平 (はらやま・ゆうへい)

    スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。

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