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引退した森脇良太が振り返る現役生活20年の原点「公園の水道をシャワー替わりに......」 (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【コンビニを見るたびに落ち込んだ日々】

── 髙萩選手や前田選手など同期が早くからプロの試合に出場するなかで、焦りはなかったですか。

「焦りもありましたし、悔しさもありました。試合に出たいけど、出られない悔しさっていうのは、常に抱いていましたよ」

── これは聞いた話ですが、プロ1年目の時はバスで練習場に向かうなかで、近くのコンビニが見えてくると気持ちが落ちていたそうですね。

「ポプラですね。そうなんです。寮のバスで練習場に向かうんですけど、ポプラが見えてくると、気持ちが沈みました。もう練習が始まるのか。今日もレベルが高い選手たちと一緒にやるのか。ミスを連発しちゃうのかなって、ネガティブなことばかりを考えていましたから。

 プロ1年目は本当に練習に行くのが嫌なくらい、レベルの差を痛感させられて。ここでは自分はやっていけないんだと思い悩んだくらい、苦しい1年を過ごしていました」

── ポジティブなイメージが強いですから、そんな時期があったのは意外ですね。

「いや、苦しかったですね。でも、練習が終わると急に元気になって。また明日もがんばるぞっていう気持ちなるんですよね。ポジティブも、ネガティブも両方持っているんですよ。

 練習するのが嫌だな、また怒られるのは嫌だなっていう思いもあったし、絶対に負けたくない、明日はいいプレーをするぞっていう思いもありました。でも次の日に、バスに乗って、ポプラが見えてくると、またそういう気持ちになってしまうんですよね」

── 2年目に愛媛FCにレンタル移籍することになりました。告げられたときはどう思いましたか。

「プロ1年目はカップ戦に1試合だけ出させてもらったんですけど、本当にズタボロにやられて自信を失いかけていました。チームからは『駒野(友一)選手がいるから、今は勝つのは難しい。レンタルで出て修行したほうが良太のためにもなるし、チームのためにもなる』と言われたんですけど、自分のなかではもうクビだなと。この先、広島でプレーすることはないんだなって、思ったんですね。

 今でこそレンタル先で経験を積んで戻ってくるという流れが生まれていますけど、当時は片道切符がほとんどでしたから。自分もそこに当てはまってしまったんだなと思って、ものすごくショックでしたね。サンフレッチェが大好きだったし、このチームで結果を残したい。このチームでタイトルを獲りたいという思いが強かったですから」

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