浦和・宇賀神友弥が振り返る、埼玉スタジアムでのラストゲーム「あの時、見た夢は、ここに続いていたのかもしれない」 (5ページ目)
【浦和で引退しなければいけない人間だった】
── FC岐阜でキャリアを終えずによかったと。
「僕自身、2年間在籍したFC岐阜にも本当に感謝していて、昨季の終わりにはそこで選手を終えようと思っていました。当時は、自分がそこまで積み重ねてきたキャリアのなかで、それほど終わり方は重要ではないと考えていて、自分の気持ちが一番、大切だと思っていました。
でも、引退した今、周りからのメッセージや、アカデミーの子どもたちの立ち居振る舞い、クラブが考えてくれた演出を見たら、宇賀神友弥という選手は、浦和レッズで引退しなければいけない人間だったんだなと思えました」
── 運命という言葉を使うとチープに聞こえるかもしれませんが、導かれていたのかもしれないですね。今季開幕前に話を聞かせてもらった時に、浦和レッズへの復帰に際して「浦和レッズの背番号35のユニフォームを着て、埼玉スタジアムでサポーターに向かって手を叩いている夢を見た」と聞いたことを思い出しました。もしかしたら......。
「そうか。あの時、見た夢は、ここに続いていたのかもしれないですね」
(つづく)
◆宇賀神友弥・中編>>「他人のプレーを心の底から喜んでいる自分がいた」
【profile】
宇賀神友弥(うがじん・ともや)
1988年3月23日生まれ、埼玉県戸田市出身。中学時代から浦和レッズの下部組織に所属し、流通経済大学を経て2010年に浦和に加入。1年目からサイドバックで頭角を表し、チームに欠かせぬ戦力として2021年まで12年間プレーする。2022年からFC岐阜で2年間プレーしたのち2024年に浦和へ戻り、シーズン終了後にユニフォームを脱いだ。日本代表歴は2017年のマリ戦で先発デビューを果たしている。ポジション=DF。身長172cm、体重71kg。
著者プロフィール
原田大輔 (はらだ・だいすけ)
スポーツライター。1977年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めたのち独立。Jリーグを中心に取材し、各クラブのオフィシャルメディアにも寄稿している。主な著書に『愛されて、勝つ 川崎フロンターレ「365日まちクラブ」の作り方』(小学館クリエイティブ)など。
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