サッカー天皇杯決勝 57回目の観戦となったベテランジャーナリストが綴る長い歴史
連載第25回
サッカー観戦7000試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」
なんと現場観戦7000試合を超えるサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。
今回のテーマは天皇杯決勝。後藤氏の初観戦は1966年度の東洋工業vs早稲田大学。「実業団対大学」の構図でした。そこから104回を数えるこの大会の長い歴史を振り返ります。
【今年は71大会ぶりの関西勢対決】
ガンバ大阪対ヴィッセル神戸の天皇杯決勝は、いわゆる「決勝戦らしい試合」だった。両者ともに慎重で、互いに守備意識が上回ったためビッグチャンスはなかなか生まれず、にらみ合いのような状態が続いた。
神戸がG大阪を下して優勝した天皇杯決勝。関西勢対決は71大会ぶりだったという photo by Fujita Masatoこの記事に関連する写真を見る G大阪にとっては宇佐美貴史の欠場は大きな痛手だったが、前半はサイドハーフ(SH)倉田秋とサイドバック黒川圭介の左サイドが頑張って、酒井高徳、武藤嘉紀という神戸のストロングポイントに対してむしろ優勢に試合を進めた。だが、神戸の堅守を破るには至らず、無得点に終わる。
神戸は、自らの力でこうした膠着状態を打開した。後半に入って次第に酒井、武藤の右サイドが力を発揮しはじめると、吉田孝行監督も動いた。
左サイドに佐々木大樹を入れ、それまでSHだった宮代大聖を大迫勇也と並べてツートップ気味に変えたのだ。これで攻撃の圧力はさらに強まり、交代からわずか5分後、GK前川黛也のロングボールに佐々木が絡み、こぼれ球を無理な体勢ながら大迫がつなぎ、武藤が持ち込んで入れたクロスのこぼれ球を宮代が蹴り込んで先制。
得点に絡むべき選手がすべて絡んだ、神戸らしいゴールだった。
その後、G大阪が交代を使って反撃を仕掛けようとするが、神戸は次々と交代カードを切って守備を固めて逃げきった。決勝戦らしいのと同時に、堅守速攻型の両チームらしい試合だった。
ところで、関西勢同士の決勝戦は1953年の第33回大会以来なんと71大会ぶりだった。全関学対大阪クラブ......。この時は会場も関西、京都市の西京極だった(当時は、毎年持ち回りで行なわれていた)。天皇杯が全日本選手権の優勝チームに与えられるようになってから3回目の大会でもあった。
さすがに、僕もこんな古い試合のことはまったく知らない。
1 / 4
著者プロフィール
後藤健生 (ごとう・たけお)
1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。