川崎フロンターレのホーム等々力陸上競技場は毎回2万人が集まる「劇場」 球技専用への改修に注目 (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【サッカーのトップリーグでの使用は1980年代】

 スタジアムは川崎市中原区の等々力緑地という公園内にあるが、「等々力」という地名は、実は多摩川の対岸の東京都世田谷区にも存在する。

 かつて、多摩川はこの辺りで大きく南に蛇行していて、世田谷区側とは地続きだったのだ(等々力緑地を囲む外周道路が昔の河川跡)。その後、多摩川が改修されて直線的に流れるようになって世田谷区側と切り離された。ちなみに、両岸はどちらも武蔵国だったが、明治維新後の廃藩置県によって川崎側は神奈川県に編入された。

 その等々力緑地に陸上競技場が完成したのは、1964年に東京で初めて五輪が開かれた直後の1966年。当初は小さなメインスタンドがあるだけで、バックとサイドは芝生席だった。

 サッカーのトップリーグで使用され始めたのは1980年代。読売サッカークラブ(東京ヴェルディの前身)の試合だった。

 1969年に誕生した読売クラブは、従来の実業団(同じ企業グループに勤務している選手だけで構成されたチーム)とは違って、社会人や学生、ブラジル人選手などが加わったクラブチームだった。サッカースタイルも個人技を生かしたブラジル的なもので、人気が低迷していたJSL(日本サッカーリーグ)のなかでは異彩を放つ存在だった。

 ホームタウンは東京都で、国立競技場や駒沢陸上競技場、西が丘サッカー場などを使用していたが、クラブハウスがある読売ランドが東京都稲城市と川崎市にまたがっていた関係で、川崎市の等々力陸上競技場でも開催されたのだ。

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