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FC町田ゼルビアのFWデュークに驚きの事実!? ワールドカップで「魔法のようなヘディング」も「長い間、あまり得意ではなかった」

  • 井川洋一●取材・文 text by Igawa Yoichi

Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由

FC町田ゼルビア ミッチェル・デューク インタビュー 中編

FC町田ゼルビアのFWミッチェル・デュークをインタビュー。カタールW杯で決めたヘディングシュートは今でも語り草になっているが、実は彼のヘディングに関してはまだあまり知られていない驚きの事実がある。本人が明かしてくれた。

前編「ミッチェル・デュークが語る日本サッカーの印象」>>
後編「ミッチェル・デュークが『ワクワクする』というFC町田ゼルビア優勝への挑戦」>>

【カタールW杯で見事なゴール】

 ミッチェル・デュークは、"リバプール"出身のフットボーラーだ。

FC町田ゼルビアのFWミッチェル・デュークが得意なヘディングのプレーについて語ってくれた photo by Kishiku ToraoFC町田ゼルビアのFWミッチェル・デュークが得意なヘディングのプレーについて語ってくれた photo by Kishiku Toraoこの記事に関連する写真を見る とはいえ、それはイングランドの赤を基調とした名門クラブが本拠を置くマージーサイドの街ではない。同じ綴りの同じ読みの街が、オーストラリアはサウスウェールズ州にある。そこが彼の故郷なのだ。

 フットボールライターとしては、そこに繋がりを感じないわけにはいかない。リバプールという街に生を受けたスポーティーな少年少女なら、この競技を意識せずにいられるだろうか。

「率直に言って、あまり気にしたことはないよ」と笑顔のデュークに否定されても、特に嫌な気はしなかった。

「物心ついた頃にはボールを蹴っていたんだ。並行してクリケットもやっていた。そして12歳の頃に、どちらかを選ばなくてはならなくなり、僕はサッカー(オーストラリア人もこの競技をこう呼ぶ)を選択した。とにかくこのスポーツが好きだったからね。家族に勧められたわけでもなく」

 デューク家は大家族で、ミッチェルは9人きょうだいの8番目の子だという。そのなかでスポーツを生業としているのは、彼だけだ。デューク家の8番目の子は、オーストラリアのサッカー史に名を残した。W杯でゴールを決めた同国代表史上"8番目"の選手として。

「確かにそうだね! 最高にクールだ。あなたにそう言われるまで、そんな共通点は思いつかなかったけど。しかも、W杯で得点したオーストラリア代表の選手は9人いて、僕は8番目なんだ。そして9人兄弟の8番目でもある(笑)」

 2022年カタールW杯のグループD第2戦のチュニジア戦で、デュークはのちにFIFA(国際サッカー連盟)が「魔法のようなヘディング」と評したゴールを決めて、チームをカタールW杯での初勝利に導いた。左サイドからのクロスは放たれた直後に相手に当たり、ブレたような弾道をゴールに結びつけるのは、至難の業に見えた。

「自分でも何度も見返したけど、かなり特別なヘディングだった。ディフレクトしたクロスは僕の身体の後ろ側へ飛んできたから、ボールにパワーを伝えるのが難しかったけど、幸運にも最適なタッチで角度をつけて、キーパーに触れないコースに球を送ることができたんだ。

 実に難しいヘディングだったけど、入ってくれてよかった。あれは間違いなく、僕のキャリアで最高のヘッドだ。大会の終盤には、ある解説者がこのゴールを取り上げてくれ、今大会で最高のヘディングのひとつだと言ってくれた。うれしかったな」

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著者プロフィール

  • 井川洋一

    井川洋一 (いがわ・よういち)

    スポーツライター、編集者、翻訳者、コーディネーター。学生時代にニューヨークで写真を学び、現地の情報誌でキャリアを歩み始める。帰国後、『サッカーダイジェスト』で記者兼編集者を務める間に英『PA Sport』通信から誘われ、香港へ転職。『UEFA.com日本語版』の編集責任者を7年間務めた。欧州や南米、アフリカなど世界中に幅広いネットワークを持ち、現在は様々なメディアに寄稿する。1978年、福岡県生まれ。

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