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バフェティンビ・ゴミスが育ったフランスと日本サッカーの違いとは? あの猛獣パフォーマンスの由来も語った (3ページ目)

  • 井川洋一●取材・文 text by Igawa Yoichi

【日本とフランス。決定的な違いがひとつある】

 彼が生まれたフランスには、クレールフォンテーヌを筆頭に、世界的にも誉れ高い育成施設がいくつもある。実際、その国立養成所ができた1988年以降、フランスは本当の意味で強豪国の仲間入りを果たし、これまでに獲得した4つのメジャータイトル(W杯2回、EURO2回)のうち、3つを設立後に手にしている。

 日本にも、まさにクレールフォンテーヌをモデルとして作られたJFAアカデミーがある。こちらの開校は2006年。フランスはクレールフォンテーヌができた10年後の1998年に自国開催のW杯で初優勝しているが、日本は2016年、いや2024年になっても世界の16強の壁を越えられずにいる。

 むろん、単純に比較できるわけではない。フランスの国立養成所は基本的に無償だが、JFAアカデミーはそうではない。またフランスには、アフリカなどかつての植民地からも広く才能を発掘できる利点がある。とはいえ、日本が参考にできることもあるのではないか。

「決定的な違いがひとつある」とゴミスは真剣な眼差しで返答した。

「フランスでは、たとえ16歳や17歳の選手でも、指導者が能力を認めれば、勇気を持って試合に出す。一方、日本では10代の選手をトップリーグで見ることは稀だ。もちろん教育は大事だし、多くの日本人選手が大学に行く選択も理解できる。ただフランスやヨーロッパの国々では、ある若者にフットボールの特別な才能があるとわかれば、周囲の人が大いに成長を促す。まだ準備が完璧にできていないと思っても、試合に出して経験を積ませるんだ」

 饒舌なゴミスから興味深い話を聞いていると、あっという間に時がすぎ、気がついたら約束の時間が迫っていた。聞きたいことはまだいろいろとあったが、ひとつだけ、最後に彼のゴールパフォーマンスの由来を尋ねた。事前にリサーチしたところ、彼は8月生まれの獅子座なので、それかと思っていたが、本当のところは......。

「最初にプレーしたクラブ、サンテティエンヌのエンブレムがパンサー(黒豹)だったから、あのセレブレーションを始めたんだ。その後にプレーしたリヨンのロゴにはライオンが入っていて、ガラタサライのニックネームもライオンで、さらに自分のルーツのセネガル代表もライオンをモチーフにしている。だから、私はライオンなんだ」

 願わくば、あの猛獣パフォーマンスをまた日本で見られるとよかったのだが......。
(おわり)

バフェティンビ・ゴミス 
Bafetimbi Gomis/1985年8月6日生まれ。フランス南東部ラ・セーヌ=シュル=メール出身。国内の名門クラブ・サンテティエンヌのユースから2004年にトップチームデビュー。途中トロワへのローン期間を経ながらストライカーとして頭角を現わし、2009年にはリヨンに移籍して活躍。その後2014年スウォンジー、2016年マルセイユ、2017年からはガラタサライでプレー。2018年からはアル・ヒラルで3シーズン半、2022年から再びガラタサライでの1シーズンを経て、2023年の夏から川崎フロンターレでプレー。2024年9月、退団を発表した。フランス代表では12試合出場3得点。

著者プロフィール

  • 井川洋一

    井川洋一 (いがわ・よういち)

    スポーツライター、編集者、翻訳者、コーディネーター。学生時代にニューヨークで写真を学び、現地の情報誌でキャリアを歩み始める。帰国後、『サッカーダイジェスト』で記者兼編集者を務める間に英『PA Sport』通信から誘われ、香港へ転職。『UEFA.com日本語版』の編集責任者を7年間務めた。欧州や南米、アフリカなど世界中に幅広いネットワークを持ち、現在は様々なメディアに寄稿する。1978年、福岡県生まれ。

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