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バフェティンビ・ゴミスが育ったフランスと日本サッカーの違いとは? あの猛獣パフォーマンスの由来も語った (2ページ目)

  • 井川洋一●取材・文 text by Igawa Yoichi

【私の成功はよい指導者に鍛えられたことが大きい】

 得点した彼の周りにはたくさんのチームメイトが集まって祝福した。ゴミスは川崎の仲間たちへの感謝を口にする。

「川崎のロッカールームには本物の団結があるんだ。誰もが近しい存在で、すばらしいチームスピリットを感じるよ。だからこのチームは特別だし、ひとつの家族のように結束している」

――特に親しくしている選手はいるのかな?

「みんなと仲がいいと思うけど、年齢の近いアキ(家長昭博)にはいろいろと世話になっている。タツキ(瀬古樹。8月にストーク・シティへ移籍)にも、(日本への)適応の手助けをしてもらったよ。ダイヤ(遠野大弥)、マル(丸山祐市)、ヤス(脇坂泰斗)......挙げていったらキリがないくらい、全員と親しくしているよ」

 このインタビューには、彼の母国語のフランス語ではなく、英語で応じてもらったが、チームメイトとは普段、どのようにコミュニケーションを取っているのだろうか。

「基本的には英語だけど、自分も日本語には興味があるので、学ぶようにしているし、わからない言葉を教えてもらったりしている。でも積極的に英語で話しかけてくれるチームメイトがいるので、うれしいね。自分ももっと仲間のことを知りたいから。

 そういえば、先日の練習でシン(山田新)からひとつ、大事な言葉を教えてもらったよ。シンがアイスティーを渡してくれて、一緒に『乾杯』をしたんだ」

 物事に真剣に向き合いながら、ユーモアも忘れない。自分のことだけでなく、全体や未来にも気を配り、自分の経験を異国のチームメイトたちに惜しみなく伝えようとする。話を続けるうちに、ゴミスの豊かな人間性が伝わってきたが、彼はこの競技を始めた時からストライカーだ。それはエゴがなければ務まらないと言われるポジションだけれども。

「自分の全盛期はとにかくゴールにこだわっていたし、それがうまくいった」とゴミスは言う。

「年齢を重ねた今は別の役割があるし、現在のフットボールでは、ストライカーは得点だけに集中することはできない。最初のディフェンダーとしてプレスに走らなければいけないし、ゴールやアシスト以外のタスクをこなさなければならない。私がストライカーとして成功できたのは、若い頃からよい指導者に鍛えられたことが大きいと思う」

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