武藤雄樹35歳が語る、自らのサッカー人生と残りの現役生活「まだ自分に期待している部分がある」 (3ページ目)
あとは、やっぱり周りの選手との相性にも助けられました。興梠慎三さんというエースストライカーがいて、本当にボールを収めてくれるので、(彼の)周りを動けばチャンスになりましたし、そこでは柏木(陽介)さんからスルーパスが出てくる。自分の特長を引き出してくれる選手が周りにたくさんいたことも、自分にとってはすごく大きかったです」
――その結果、2015年には日本代表にも選出され、東アジアカップに出場しました。結果を出し続けていたことが、自信になっていましたか。
「自信はありましたね、やっぱり。上を目指したい、代表を目指したいっていうギラギラした気持ちも持っていました。ただ、どんどん上に階段を登っていきたいなと思う反面、日本代表では個人の力も必要とされているんだなっていうのはすごく感じて......。
ミシャのサッカーって形がはっきりしていたので、割とやることがわかりやすかった。チームが常にいい距離感にあって、サポートのいる位置がなんとなくわかって、阿吽の呼吸でサッカーができていたのが浦和だったんですけど、やっぱり代表にポンと入った時に、もう少し個の力でなんとかできないと、きっとここではやっていけないんだろうな、とも感じたんです。
代表に呼ばれて、出た試合では点を取ることもできたので、やれる自信があった一方で、当時の日本代表には香川真司選手、本田圭佑選手とか、技術的に優れた選手がいて、そこに勝たなきゃいけないんだなと思った時に、自分はまだまだ力が足りない部分があるなとは思っていて......。東アジアカップ(の2試合)でゴールを決めて、『次もワンチャン呼んでくれよ!』と思っていたんですけどね(苦笑)。次に呼ばれなかったので、きっとそういうことなんだろうなって、自分のなかで納得した部分はありました」
――当時のヴァイッド・ハリルホジッチ監督は、特に個の力を重視する傾向が強い監督でした。
「そうですね。僕は相手と駆け引きしながらゴールを決めて、自分の特長は出せましたけど、その反面、ひとりで打開できたかっていうとアジア相手でもそこまでできた実感はなかった。それだったら、世界で戦っている(海外組の)選手が呼ばれるのは当然なんだろうなっていうのは感じていました」
――今振り返って、日本代表に定着できなかった悔しさと、一度でもそこにたどり着けた誇らしさ。どちらが大きいですか。
「基本的には、悔しさしかないですね。やっぱり子どもの時から日本代表で活躍することが夢でしたから。そんな姿を夢に描いてサッカーをしていたので、なんて言うんだろう......、一発屋で終わりたくなかったというか......。
もちろん、日本代表で試合に出られたことは今でもうれしいですけど、声を大にして『オレは日本代表だったんだぜ!』って言えるかというと、そんな感じではないなと個人的には思います。長くいなきゃ意味がないとは言いませんが、本当の意味での日本代表とは誇れないなって思いますし、海外組が入ってきたなかで、もっともっと日本代表に絡んでいきたかったなって思います」
3 / 4