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プロ20年目の都倉賢のサッカー人生を変えたふたつのターニングポイント「プロ初ゴール」と「移籍先なき海外挑戦」 (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 海外への思いを加速させたのは、神戸での相馬崇人との出会いだ。今の時代ほど日本人選手の海外移籍が活発ではなかった2009年に、浦和レッズから移籍先が決まらないまま欧州に渡り、2年半に渡って欧州でプレーした彼の生き様は、都倉に大きな刺激を与えたという。

「当時はJリーグで活躍し、日本代表に選ばれた選手が海外に行くのがスタンダードでしたが、ソウちゃん(相馬)は、どちらかというと異端児的な海外組で......。その彼とチームメイトになり、いろんな経験を掻い潜ってきたからこそのオーラとか、纏っている空気感、ワールドワイドな考え方、価値観に触れて、それは日本では得られないものだと確信した。同時に、自分がすごくぬるい環境でサッカーをしている気もして、一刻も早く海外にいかないと、今以上の成長はないんじゃないかと考えるようになりました」

 もっとも、そのキャリアにおいて日本代表に一度も選ばれたことのない都倉の名前がヨーロッパで知られているはずはなく、初日からチームには明らかに「よくわからない東洋人が来たぞ」的な空気が流れていたという。だが彼にとっては、それも含めてすべてが新鮮でしかなく、プレースタイルを含めてイチから自身をイントロデュースする時間は、自分を見つめ直すことにもつながった。
 
「僕は小学生の頃から慶應義塾に通い、内部進学生として中学、高校、大学と進学して(注:2005年に大学を休学してプロに転向)、ユースからプロになって、都倉賢を自己紹介しなくても周りに知ってもらえる環境で育ってきました。でも、いざ海外に出たら、ただの名の知れぬ東洋人でしかなくて。日本では強みにしていた"高さ"も、身長187cmの僕が埋もれてしまうほど、デカいやつがウジャウジャいるチームではまったく通用しなかった。

 けど、そんなふうに自分の強みだと考えていた部分が意外と強みではないことに気づいたからこそ、自分には何ができるのかを考えるようになったし、逆に強みだなんて思ってもみなかった部分が強みだと思えるようになった。日本人特有の協調性、勤勉性も日本にいたら当たり前のものだと思っていたけど、海外ではそれが重宝されると気づいたのもひとつですしね。また、ピッチ外のところでも、自分という人間を細かく因数分解したうえで、あらためて"都倉賢"を客観視できた気もした」

 クラブの意向を受け、当初1週間の予定だった練習参加は1カ月を数えたものの、結果的には契約に至らず、都倉はデンマークをあとにする。だが、「ハングリーさの塊みたいな環境」に身を置いた1カ月は、彼にかつてないほど色濃い時間として刻まれた。

(つづく)◆38歳になる都倉賢が「生涯現役」宣言>>

都倉賢(とくら・けん)
1986年6月16日生まれ。東京都出身。川崎フロンターレU-18を経て、2005年、在学中の慶應義塾大学を休学してトップチーム入り。2008年にJ2のザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)に期限付き移籍。翌年、同クラブに完全移籍し、2010年にはヴィッセル神戸に完全移籍。以降、北海道コンサドーレ札幌、セレッソ大阪、Ⅴ・ファーレン長崎でプレー。持ち味となる高さを活かして、各クラブで活躍した。そして今季から、J3のいわてグルージャ盛岡に加入した。

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