プロ20年目の都倉賢のサッカー人生を変えたふたつのターニングポイント「プロ初ゴール」と「移籍先なき海外挑戦」 (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 当時はまだJ3がなかった時代。仮にJ2で結果を残せなければ、プロキャリアが終わってしまうという危機感もあったのだろう。川崎時代は、小学生の時に父に教えられた"大器晩成"という言葉を胸に「大きくなるヤツは遅咲きだ」と信じて疑わなかったが、草津ではそうは思えず、点を取れない事実は焦りとなって彼を苦しめた。

「そうした毎日でも、自分なりにもがいて点を取ることを模索していたら、(出場)12試合目にしてようやく、アウェーのサガン鳥栖戦でゴールを決められたんです。しかも、コーナーキックの際に自分の前にいた選手が競れなくて、僕の目の前でワンバウンドしたボールが、そのまま顔に当たって入るみたいな。正直、ボールの軌道もまったく見えていなかったので、自分から決めにいったというより、勝手にボールが当たってきてくれた感じでした。

 その時に、あれだけ求めていても入らなかったものがこんな形で決まるんだ、と驚くとともに、あらためてプロの世界で結果を出す難しさを実感した。あの1点がなければ、何もスタートできないままキャリアが終わっていてもおかしくなかったと思う」

 しかも翌節、7試合ぶりの先発メンバーに返り咲いた都倉は、当時、他を寄せつけない強さを示してJ1昇格を決めていたサンフレッチェ広島相手に2ゴールを叩き込む。

「それまで試合後のミックスゾーンを通っても誰からも声を掛けられなかったのに、点を取った途端、いろんなメディアの方が注目してくださるようになって。わかりやすいなと思う反面、これがプロという世界なんだ、と思ったし、点を取ることでしか、自分の価値は示せないという覚悟もできました」

 草津に完全移籍をした2009年は、点取り屋としての嗅覚を覚醒させ、43試合に出場し23得点とゴールを量産。同年のJ2リーグ得点王、香川真司(27得点/セレッソ大阪)に次ぐ得点数で、存在感を知らしめる。それは翌年、J1クラブ、ヴィッセル神戸への移籍にもつながった。

 プロ初ゴールが"点を取る"ことにおける最初のターニングポイントであるのに対し、今年で20年目を迎えたプロの"サッカーキャリア"としてのターニングポイントは2013年のシーズンを終えて、神戸から北海道コンサドーレ札幌に移籍するまでのオフシーズンだという。当時、27歳。以前から海外移籍を描いていた彼は、移籍先も決まらないまま借りていた家を解約し、ほとんどの家具を売り払い、車も手放して、身ひとつで日本を飛び出す。行き先は、デンマークだった。

「2013年でヴィッセルを契約満了になることもあって、いろんなチームから声は掛けてもらっていたんです。でも、海外挑戦をするならこのタイミングしかないな、と。なので、代理人にその意思を伝えて海外移籍の道を探っていたんです。でも、なかなか思うように話がまとまらなくて。それなら現地に行って直接テストを受けようと思い、1週間の予定でFCベストシェランの練習に参加しました」

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