町田ゼルビアのハイタワー オ・セフンの挫折と紆余曲折 U-20W杯準優勝のあとに待っていた苦境 (3ページ目)

  • 吉崎エイジーニョ●取材・文 text by Yoshizaki Eijinho

【韓国国内では苦しむ】

 しかし、国内でのオ・セフンは苦境にいた。

 トップチームでの結果がなかなか出ない。2018年には蔚山で3試合出場0ゴール、2019年のU-20W杯には2部の牙山ムグンファにレンタル移籍中、という身でプレーした。牙山ムグンファでは30試合出場7ゴールという状況だった。

 U-20W杯時に「年下だけど、サッカー観がしっかりしていてちゃんと議論できる」と信頼を寄せたイ・ガンインは、欧州で研鑽を続けていた。

 本人にできることといえば、「兵役を早く終え、時を待つこと」だった。2020年から1シーズン半に渡り、Kリーグ1部に所属する国軍体育部隊のチーム尚州尚武(サンジュ・サンム)に所属。2020シーズンは13試合で4ゴールを記録した。

 ところが、ここでもオ・セフンに再び苦境が。「日本との縁」を逃してしまうのだ。

 東京五輪最終エントリー落選。U-20代表時代の圧倒的存在感からすると、大きな挫折にも見えた。

 しかし、本人はこう語る。

「日本での大きな大会に出られなかった、という点での無念はなかったんですよ。むしろ落選の現実はしっかり受け入れました。その時、少しパフォーマンスが落ちていましたし。何より自分をより成長させてくれたキム・ハクボム監督の判断だったので、監督が決めたのなら受け入れようと。むしろ監督には感謝の気持ちが大きいです」

 こうした紆余曲折を経て、オ・セフンはその後日本でプレーすることになる。

後編「オ・セフンが目指す将来の選手像」につづく>>

オ・セフン 
呉世勲/1999年1月15日生まれ。韓国仁川広域市出身。ヒュンダイ高校を卒業後2018年蔚山現代(現蔚山HD)に加入。2019年には牙山ムグンファ、2020年からは尚州尚武に所属し、2021年途中から蔚山に戻ってプレー。2022年に来日し清水エスパルスでプレー、2024年からはFC町田ゼルビアに移りプレーしている。2019年U-20W杯で準優勝した韓国代表メンバー。

著者プロフィール

  • 吉崎エイジーニョ

    吉崎エイジーニョ (よしざき・えいじーにょ)

    ライター。大阪外国語大学(現阪大外国語学部)朝鮮語科卒。サッカー専門誌で13年間韓国サッカーニュースコラムを連載。その他、韓国語にて韓国媒体での連載歴も。2005年には雑誌連載の体当たり取材によりドイツ10部リーグに1シーズン在籍。13試合出場1ゴールを記録した。著書に当時の経験を「儒教・仏教文化圏とキリスト教文化圏のサッカー観の違い」という切り口で記した「メッシと滅私」(集英社新書)など。北九州市出身。本名は吉崎英治。

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