オッツェがわずか1年半で帰国したのは、家庭の事情だけじゃなかった「またドイツで活躍できると思ってしまって...」
あの人は今〜「オッツェ」インタビュー中編
フランク・オルデネビッツ(ドイツ/元ジェフユナイテッド市原)
◆あの人は今「オッツェ」前編>>1994年Jリーグ得点王に会いにブレーメンまで行ってきた
盟友ピエール・リトバルスキーからの電話で、ジェフユナイテッド市原でのプレーを決めたフランク・オルデネビッツ「愛称=オッツェ」。Jリーグでプレーするなかで覚えた、いまだに残っている違和感もあるという。
「加入当初から『ちょっとヘンだな』と思って、日本を離れる最後まで慣れなかったのは、試合をして負けても、みんな一生懸命、拍手してくれることですね。それはドイツではありえなかったので......」
オッツェに30年前のJリーグについて聞いた photo by Minegishi Shinjiこの記事に関連する写真を見る チームメイトとのコミュニケーションにおいても、ドイツとの違いを感じることはあった。
「試合後のロッカールームも、雰囲気はとてもよかったですね。僕は機嫌の悪い日本人を知りません。もちろん、ピッチの上ではニコニコしているだけでなく、しっかり戦っていましたけど。チームは決して強いほうではなかったですけど、それでもチームメイトたちとは仲がよくて、いつも楽しかったです」
負けても怒ることのないファンの姿勢、いつでも仲よしなチームメイトのメンタリティは「日本人そのものだ」と、オッツェは滞在1年半の短い期間で感じたそうだ。
「ファンが負けても怒らないように、日本人は決してネガティブなことを言わない、いつでも笑っています。申し訳ないけれど、僕は最初『なんにも怒らないこの人たちは、ちょっと大丈夫なのかな?』って思ってしまいました。でも1年半ほど日本にいる間に『日本人はそういうメンタリティを持っているんだ』と理解していきました」
さらにオッツェは独自の分析を続けた。
「そう思ったのは、お互いフレンドリーに規律正しくしないと、あれだけの人数が共生できないからではないかと。東京には、ものすごい人がいるじゃないですか。あのフレンドリーさ、規律がなかったら、東京はパニックになってしまうと思うんです。だからこそ、いつでもニコニコしているんじゃないかとね」
日本を懐かしむように、笑いながら持論を披露してくれた。
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著者プロフィール
了戒美子 (りょうかい・よしこ)
1975年生まれ、埼玉県出身。2001年サッカー取材を開始し、サッカーW杯は南アフリカ大会から、夏季五輪は北京大会から現地取材。現在はドイツを拠点に、日本人選手を中心に欧州サッカーを取材中。著書『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(講談社)。