鹿島ポポヴィッチ監督が語る「土台を理解し新しい歴史を作る」 (2ページ目)

―知念の適性については?

「知念はボールを持っても落ち着いているし、試合の流れを読みながらプレーできる。常にプレッシャーがかかり、スペースも無いFWでプレーするよりも前を向けて十分に時間もあるボランチの方が向いていると考えたのです。コンバートについてのポイントは選手自身が新しいポジションを受け入れてそこで自分が出来ると思うかどうか。知念とはずっとコミュニケーションを取って来ました。名古屋戦に関して言うと、うちのダブルボランチは、海舟も知念も互いの特徴を出し合って、良い組み合わせとなっていました。知念はインターセプトを何度も成功させていた。だから海舟は守備的、知念は攻撃的と考えるのはあくまでも先入観。私の仕事はポテンシャルに気づかせてそれを最大限に引き出すことです」

―ここで1ゴール1アシストといきなり活躍したチャブリッチについて聞かないわけにはいかない。彼はクロアチアのブコバル出身のセルビア人ですね。亡くなったフリーキックの名手シニシャ・ミハイロビッチ(ミランで本田圭佑、ボローニャで冨安健洋を指導)もそうでしたが、ユーゴ紛争時、最大の激戦地であったブコバルは多くのサッカー選手が戦争被害に遭いました。

「チャッキー(チャブリッチの愛称)は幼い頃にそこで家を失くしてセルビア本国に逃れてきました。しかし、気軽に話せるテーマではありません。木村さんも知ってのとおり、私の生まれはコソボ。コソボのセルビア人も同じような目にあっています。私たちはユーゴスラビアで戦争によって分断されて、日本で再会したと言えるかもしれません」

―どうやってチャッキーという才能を見つけたのでしょうか。

「彼の名前が鹿島の補強候補リストに入っていたのです。それを見た私は(チャブリッチが所属する)スロヴァン・ブラチスラバの前の監督(2020~2021)が私のクーム(仲人)だったことを思いだしたのです。そう、スロベニア人のダルコ・ミラニッチです」スロヴァン・ブラチスラバの前監督ダルコ・ミラニッチ グラーツの監督時代 Photo by Yukihiko Kimuraスロヴァン・ブラチスラバの前監督ダルコ・ミラニッチ グラーツの監督時代 Photo by Yukihiko Kimuraこの記事に関連する写真を見る

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