レノファ山口で現役引退、いきなり社長就任。J1で234試合出場の渡部博文が経営に興味を持つまで
「強くイメージし、紙にも書き込んだからこそ、プロサッカー選手になれたんだと思います」
渡部博文(35歳)は穏やかな声音で言った。
「小6の時に『ゆめシート』という将来の夢を書いたんですが、そこには何歳で何をするとか、かなり細かく書いていました。『日本代表になってワールドカップに出場する』『世界のトッププレーヤーと争って、ドイツやイタリアでプレーする』『(当時はFWで)自分のゴールで観客が喜ぶ』とか。引退の年齢は書いていなかったんですが、『引退後はサッカーチームを作って、息子にプレーさせる』まで(笑)。自分で期限を決め、逆算でやっていくのは大事だと思っています」
論理的思考でプロの世界を生きてきた男が、スパイクを脱ぐ決意をした。それはひとつの夢の終焉と言える。しかし次の道を選んだ顔は、曇りなく晴れやかだった――。
山形県長井市出身の渡部は、Jリーグで一角をなしたディフェンダーである。柏レイソル、栃木SC、ベガルタ仙台、ヴィッセル神戸、レノファ山口で、13シーズンを戦っている。J1、J2、カップ戦を含めると348試合に出場。J1では234試合に出場し、リーグ戦だけで184試合出場だ。
柏レイソル、ベガルタ仙台、ヴィッセル神戸などを経て、レノファ山口で現役を引退した渡部博文この記事に関連する写真を見る そのヘディングはJリーグでトップクラスだった。名だたるFWたちとも対等に渡り合っている。プロとして生きる武器だった。
「でも、大学生になるまでヘディングは嫌いだったんですよ」
渡部はそう言って、白い歯を見せた。
「当時はボランチだったんですが、周りの選手を見ていると、そこでは勝てないかなって思って、センターバックに下がると、足元があるほうで、ボランチよりはつなぐのも楽になって、プレスもかわせるようになったんです。そこで、センターバックで生き抜いていくために、ヘディングを徹底的にトレーニングしました」
ロジカルに勝負する場所を見つけ、プロの道を開いた。
しかし1年目の柏ではなかなかポジションを手にできず、J2栃木に新天地を求めることになった。当時は「片道切符」と揶揄されるレンタル移籍。だが、彼は窮地を飛躍の機会に変えた。
1 / 4