レノファ山口で現役引退、いきなり社長就任。J1で234試合出場の渡部博文が経営に興味を持つまで (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by YUTAKA/AFLO SPORT

【「引退したとて負けないぞ」】

 渡部は訥々と明かしている。

「脳のMRIを撮って、目のトレーニングもしました。おかげで視点は合うようになったんです。でも二重に見えたままで、『脳震盪の可能性もある』という診断でした。確かに競り合いなどで当たりどころが悪いことはあり、激しい接触のダメージは蓄積されるらしく、ラグビーやアメフトではよく聞くんですけど、『将来的に重い障害になる可能性も』と知り悩みました」

 さまざまな思いは交錯し、無念さがないはずはなかった。しかし、命を天秤に乗せることはできない。9月に家族と話し、自ら幕を引くことにした。

 その行動原理は、実に彼らしかった。

「自分にとってよくない出来事は、ある意味、人生のチャンスなんじゃないかと思っているんです」

 小5の時、やはり1年間、サッカーから離れざるを得なかったことがあり、渡部は辛い思いをしていた。しかし当時、モンテディオ山形対浦和レッズという試合を観戦し、小野伸二のプレーに心を奪われ、「絶対にプロサッカー選手になる」と決意した。その時、自分に起こった不運も、自ら決断し、考え抜くことで幸運に変えられることを知った。

 振り返ったら、渡部はいつも状況の転換で道を切り拓いてきたのだ。

――小6でプロサッカー選手の夢を目標にした渡部少年にタイムマシンで会うことができたら、何と言ってくるか?

 その問いに、彼はこう答えている。

「『(書いたことを)実現できてねぇじゃん』でしょうね(笑)。ワールドカップも、海外も行けませんでした」

 しかし彼はプロサッカー選手になり、その日々を硬骨に生きた。

「変な自信はあるというか。引退したとて負けないぞ、と思えるようになったんです。"失敗なんてない、やり続けるだけ"という日々をサッカー選手としてやってきました。そのベースは強いですよ。逆境の時こそ、変われるチャンスだと捉え、行動してきました。だから、今回もそういうことかなって。執着してきたサッカーですが、そこから解放されたっていうか......」

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