板倉滉、三好康児、三笘薫、田中碧...4人はフロンターレでどう育ったのか。幼少時代のコーチに聞いたそれぞれの特長と共通点 (2ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • photo by AFLO, ©KAWASAKI FRONTALE

「当時から滉は背が高いほうでした。前所属のあざみ野FCではFWをやっていましたが、当時U−12の監督だっ髙﨑康嗣さん(現テゲバジャーロ宮崎監督)がボランチにコンバートしたんです。ただ、ポジションが下がってもFWだったこともあって、とにかくゴールに貪欲でした。セットプレーで点を取っていたイメージが強く残っています」

 板倉と同学年で、1年遅れの2007年に入ってきたのが三好康児(現ロイヤル・アントワープ/ベルギー)だった。当時は「ぽっちゃりとしていた」と玉置は再び笑ったが、プレーにはやはり光るものがあった。

「センスという安易な言葉になってしまいますけど、左利きで当時から独特なボールの持ち方をする選手でした。子どものころはどちらかというと、パサーという印象のほうが強かったかもしれません。ただ、今はスピードを活かしてドリブル突破するシーンを見るように、子どもの時も体型的にはぽっちゃりしていましたが、一瞬の"キュッ"といった加速ができる選手でした」

 同学年の板倉と三好、ひとつ学年が下になる三笘。それよりも、さらに1歳年下なのが田中碧(現フォルトゥナ・デュッセルドルフ/ドイツ)だった。玉置は「彼を見てきたスタッフの誰もが、今の頼もしい姿は想像できなかったのではないかと思います」と言う。

「彼が活躍したら、いつかこうした話をする機会もあるのかもしれないなと思っていたのですが、碧は本当に甘えん坊というか、人懐っこい子どもでした。泊まりがけの遠征に行った際には、朝みんなで散歩をするのですが、碧は自然ととなりに来て手をつないできたりするんです。

 ほかにも僕が座っていると、ひざの上に乗っかってきたり。彼自身がどういう心境だったのかはわかりませんが、とにかく甘えん坊で、そうした行動含め、みんなから愛されるキャラクターでした」

 ただし、ピッチに入れば板倉、三好、三笘と同じく目を見張る部分があった。

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