「オールドルーキー」になって3年。元サッカー日本代表・坪井慶介が振り返る引退の寂しさと息子たちに話したこと

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • photo by Getty Images

引退から3年。坪井慶介インタビュー 前編

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サッカー日本代表でもプレーした主人公が突然引退を余儀なくされ、セカンドキャリアを奮闘していくドラマ『オールドルーキー』が放送されている。その初回に出演した元日本代表の坪井慶介氏も、3年前に現役引退したオールドルーキー経験者だ。今回改めて引退したころの状況や心境を振り返ってもらった。

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浦和レッズ、湘南ベルマーレで活躍し、最後はレノファ山口FCで2019年までプレーした坪井慶介氏浦和レッズ、湘南ベルマーレで活躍し、最後はレノファ山口FCで2019年までプレーした坪井慶介氏この記事に関連する写真を見る

引退時期を自分で決められて幸せだった

――ドラマ『オールドルーキー』は、かつてサッカー日本代表でもプレーした主人公の新町亮太郎が、所属先のクラブが消滅し、その後どのクラブからもオファーがなく引退を余儀なくされます。現実を受け入れながらオールドルーキーとして、スポーツマネージメントというセカンドキャリアに挑む内容です。坪井さんは2019年にJ2のレノファ山口FCで現役引退されましたが、引退を決意されたきっかけはどのようなものだったんですか?

「もっとも大きな理由は、自分のなかで納得できないプレーが増えてきたことでした。『まだまだいけるよ』と言ってくれる方もいたんですが、自分のなかでボーダーラインがあって、そこに満たないプレーが増えたのが最終的な決断につながりましたね」

――そのボーダーラインは、具体的にはどんなところだったんですか?

「対人守備の部分ですね。シーズンも半ばの7月頃から練習で『あれ、いつもだったら届いているのに届かない』とか、『いつもなら体を入れて奪えているボールを突くことしかできないな』とか、そういうプレーが散見されてきたんです。そこは自分のなかで自信を持っていた部分でもあったので、プロとしてお金をもらえるクオリティではないと思ったんですよね」

――アスリートであれば、誰しもがいつかは衰えからパフォーマンスが低下する時期が来てしまうものですが、坪井さんはどのように向き合ってきたんですか?

「じつは浦和レッズから湘南ベルマーレに移籍した時点で、その時はいつか来るだろうなと、それをどこで決断するかというのは覚悟していました。でもそこから5年もプレーするんですけどね(笑)」

――7月頃に衰えを感じ始めて引退を決意されたわけですが、引退を決めるまでには時間はかかりました?

「1カ月くらいですかね。覚悟はしていたし、辞めるタイミングは自分で決めたいとずっと思っていたので、決断にはあまり時間はかからなかったです。むしろプレースタイルを変えずによくここまで来れたなと思いましたね。ドラマの新町さんとは違って、自分で納得できるタイミングで引退時期を決められるのは、サッカー選手にとって幸せな終わり方だなと思います」

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