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浦和レッズのレジェンド山田暢久が振り返る現役時代。「ドイツ人監督は苦手な人ばかりでした(笑)」

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • 木鋪虎雄●撮影 photo by Kishiku Torao

元浦和レッズ・山田暢久インタビュー 後編

前編「山田暢久が選んだ歴代日本人サイドバックトップ10」を読む>>

現役引退をしてから9年近くが経つ、浦和レッズのレジェンド選手、山田暢久氏。インタビュー後編では、引退後の活動と、キャリア20年に渡る浦和での思い出を語ってもらった。

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現在は埼玉県内で少年サッカーチームのコーチを務めている山田暢久氏現在は埼玉県内で少年サッカーチームのコーチを務めている山田暢久氏この記事に関連する写真を見る

監督は試行錯誤の繰り返しだった

――2013年に浦和レッズで現役を引退して9年が経ちましたが、現在はどのような活動をされているんですか?

 昨年まで神奈川県社会人サッカーリーグ1部のイトゥアーノFC横浜というクラブで監督をしていました。今は埼玉県のガナドールFCという少年サッカークラブで、小学生のコーチをしています。子どもたちはかわいいし、成長を見守るのは楽しいですよ。

――山田さんはコーチや監督など、指導者の道はもともと考えられていたのでしょうか?

 正直、そこまで考えてはいませんでした。でも興味がないわけではなかったです。浦和の時も、スカウトをやりながらユース年代の指導を手伝わせてもらっていました。イトゥアーノやガナドールも話をいただいて、経験としてやってみようと思ったのでやらせていただきました。

――社会人リーグの監督経験はいかがでした?

 2019年から3シーズンやらせてもらって、徐々に順位は上がってはいましたけど難しかったですね。僕と選手たちとのサッカーの基準に大きなギャップがあって、最初は「これができないのか」「ここまで言わないと伝わらないのか」という戸惑いがありました。そこをどうするか、試行錯誤の繰り返しでした。

――その試行錯誤では、どんな工夫をされてトレーニングをしていたんですか?

 結局、選手たちができるメニューにグレードを落として、そこから徐々に上げていくしかなかったです。2年目くらいからコーチがつくようになって少し楽になりましたが、それまで全部ひとりでやるしかなくて大変でした。

 フルピッチでの練習はなかなかできないし、選手たちは仕事や大学があるので練習は夜になるし、選手が全員揃って練習できることがない。先発メンバーで「こういう練習がしたい」と思ってもできないんですよね。でも、そうしたなかで選手たちが成長していく姿を見るのは嬉しかったです。

――試合には、浦和のサポーターも見に来てくれていたみたいですね。

 来ていただいていましたね。イトゥアーノでの最初の試合が、永井雄一郎(元浦和レッズ)がプレーしていたFIFTY CLUB(当時)との対戦だったんです。その時は結構サポーターの方が見に来てくれました。

――山田さんも選手兼任でやっていたんですか?

 そうですね。公式戦に出させてもらったこともありましたけど、ケガしちゃったんです。浦和時代はほとんどケガをしなかったんですけど、引退してから前十字靭帯を2回切って、2回手術しました。それ以降、選手はやっていないです。

――かなりつらいケガでしたね。今後、またどこか監督できるクラブを探されたりしますか?

 そこまでは考えていないです。でもタイミングとか、縁があればやってみたいという気持ちはあります。それはその時、考えればいいかなと思っています。

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