武田修宏が語るJリーグ30年。「言いたいことを言って結果を出す文化があった」

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

Jリーグ2022開幕特集
武田修宏インタビュー(前)

 1992年3月をもって日本サッカーリーグ(JSL)が終了。同年秋に開催されたプレ大会にあたるヤマザキナビスコカップを経て、1993年5月15日、Jリーグが開幕した。国立競技場で行なわれたその開幕戦、ヴェルディ川崎対横浜マリノス戦に、武田修宏はヴェルディ川崎のFWとしてスタメン出場した。

 ヴェルディ川崎は前身である読売クラブとして臨んだJSLの最後の2シーズン、さらにはヤマザキナビスコカップを制していた。そして、このJリーグも開幕シーズンとその翌シーズン(1994年)に連覇。Jリーグ草創期の最強チームとして、オールドファンに知られている。

 清水東高校時代、1年生で10番をつけた武田は、冬の高校選手権(1983年度)で得点王として準優勝を飾った。また、長谷川健太、大榎克己、堀池巧ら清水東の先輩たちが大学に進学するなか、1986年読売クラブ入り。高校サッカー全盛だった当時、大きな話題を呼んだ。

Jリーグ黎明期、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)のスター選手だった武田修宏Jリーグ黎明期、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)のスター選手だった武田修宏この記事に関連する写真を見る「健太さん、同学年の中山ゴン(雅史)ちゃんとか井原(正巳)くんが筑波大学へ行って、反町(康治、清水東の4学年先輩)さんと野々村(芳和、同5年後輩)は慶應。大榎さんは早稲田大学で、僕ぐらいですね。大学へ進学しなかったのは。『早稲田にサッカー推薦でどうか』という話はありましたけど、イチかバチか、読売クラブという日本のトップのチームで3年やってみて、『ダメだったらサッカー諦めようかな』ぐらいの感覚でした。とにかく、日本代表になりたかったので、大学に4年行くんだったら、読売クラブのほうがいいだろうと。

 Jリーグが始まる直前のJSLは、読売クラブか日産自動車かの2強時代で、すごく盛り上がっていました。1992年のナビスコカップもスタンドに観客がよく入って、そうしたなかでヴェルディ川崎は優勝した。

 カズ(三浦知良)さんがいて、トニーニョがいて、Jリーグ開幕に合わせてマイヤーがやってきた。アモローゾ(後にウディネーゼ、パルマ、ドルトムントなどで活躍した元ブラジル代表)は結局、サテライトでしたからね。カズさんと誰かがツートップを組む感じだったんですけれど、そういう意味ではとにかく競争が激しかった」

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