武田修宏が語るJリーグ30年。「言いたいことを言って結果を出す文化があった」 (4ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 山添敏央●写真 photo by Yamazoe Toshio

 ただし、当時は代表の試合は年に1、2回ある程度で、日本代表に入るのは本当に大変でした。毎月のように試合が行なわれている現在とは、違う価値観で臨んでいたと思います」

――ドーハのイラク戦に敗れ、W杯に行けなかったことに悔いはありますか?

「ないですね。ドーハの悲劇。いろいろなことを言う人はいますけど、確かにあの時、W杯に出ていたら、人生、変わっていたと思います。でも、小学校の卒業アルバムで『夢は日本代表になる』と書いた僕が、夢のワールドカップアジア最終予選、歴史的瞬間のイラク戦ピッチにいたことは今でも自分の誇りです。後悔はしていません」
(つづく)

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武田修宏(たけだ・のぶひろ)
1967年5月10日、静岡県生まれ。清水東高校卒業後、読売サッカークラブ(日本サッカーリーグ)入団。Jリーグ創設とともに読売クラブはヴェルディ川崎に改組。三浦知良、ラモス瑠偉、北澤豪らと黄金時代を築く。その後、ジュビロ磐田、京都パープルサンガ、ジェフ市原などでプレー。2001年に現役引退後はタレントとしても活躍中。

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